渡り鳥の日記

2019年に定年退職して米国株をメインにした投資活動とFPのスキルを活かして、ライフプランニングと長期投資の魅力を伝えています!

「座りすぎ」が寿命を縮める

体の70%の筋肉は足にある

なぜ、座りすぎで死亡リスクが高くなるかというと体の70%の筋肉がある足を動かさないことで、血流や代謝機能が低下することが影響していると考えられている。 また、筋肉を動かさなければマイオカイン《骨格筋(筋肉)から分泌される生理活性物質(サイトカイン)の総称》の量が抑えられるため、慢性炎症が起こりやすくなる。

 

健康で長生きしたいなら、少しでも座る時間を短くして、体を動かす時間を増やすべき。

30分座ったら、3〜5分歩いたりストレッチをしたりして、体を動かす。 

どんな運動でも抗炎症効果は期待できるので、まず始めて、続けることが重要。

HIITは負荷の強い運動と小休憩を繰り返すトレーニングで運動時間はたったの4分。 20秒の運動と10秒の休憩を8回繰り返すだけ。

高強度のトレーニングを繰り返すことで、効率的にミトコンドリアの量や質を高められることがわかっている。

ミトコンドリアは酸素から細胞のエネルギーを作り出す工場のような役割を持っている器官。 加齢でその数が減って働きが悪くなるため、年齢とともに代謝が低下して酸素から効率的にエネルギーを作り出せなくなって、活性酸素が発生しやすくなる。

 

効果的なウォーキング法

インターバル速歩.....速歩きとゆっくり歩きを交互に繰り返す

要介護にならない効果的な方法

高齢者が弱っていく典型的なパターンを「フレイルサイクル」という。 高齢者が外出の機会を減らしてしまうと、

①社会的な交流が減ったり、活動量が低下する。

②エネルギーの消費量が減り、食欲が低下したり、食べる量が減る。

③栄養が不足気味になり、筋力や筋肉量が減る「サルコペニア」という状態になりやすくなる。

このような悪循環を医療や介護の分野では「フレイル(虚弱)サイクル」と呼ぶ。 

要介護の状態にならず、健康に近い状態を保つには、有効な予防法の一つはこのフレイルサイクルに入らないようにすること。

どうすればそれが可能になるのか。

それは「意欲」が最も大事である。

一番のポイントは意欲を大事にしながら、あらゆる手段を使って行動のハードルを下げることが重要。 「面倒だ」、「おっくうだ」と思いそうになったら、楽にできる方法はないかと考える習慣を身につけること。

ガンや生活習慣病の予防

京都大学名誉教授 和田 洋巳

炭水化物の摂取について

炭水化物は体内で糖(ブドウ糖)に変換された後、正常細胞のエネルギー源として使われる。一方で、ガン細胞もまたブドウ糖をエネルギー源としているため、必要量を超える量の炭水化物を摂取しないことが重要になってくる。加えて、血糖値を急激に上昇させるような摂取の仕方をしないことも留意が必要。

炭水化物を摂取する場合は白米の代わりに玄米、一般的な小麦粉を使用したパンの代わりに全粒粉パンを選ぶなど、グリセミックインデックス(食後血糖値の上昇度を示す指数)の低い食品を摂取するように心がける。

 

塩分摂取について

ガン細胞は塩分(ナトリウム)を取り込み、酸性化する。塩分の摂取を控えてガン細胞にナトリウムを与えないことが肝要だ。 健康な人なら厚生労働省が推奨している1日あたりの塩分摂取量は男性で7.5グラム、女性で6.5グラム未満となっている。

 

たんぱく質の摂取について

タンパク質も人が生きていくためには必要不可欠な栄養素だが、体のアルカリ化という観点から言えば牛肉や豚肉などの動物性タンパク源からよりも大豆、豆腐、納豆などの植物性タンパク源から摂取することが基本である。 また、動物性タンパク源から摂取する場合はイワシ、サンマ、サバ、サケなどの青魚からの摂取が理想的。

 

野菜や果物の摂取について

炭水化物や塩分やタンパク質の摂取を頑張って控えめにしたとしても体内環境はがん細胞が好む酸性に傾く。酸性に傾いた体内環境を中性に戻し、さらにアルカリ性にまで戻すためには、唯一のアルカリ化食品の野菜や果物を多く摂取するのが最も有効。 野菜の推奨摂取量は一日あたり400グラム程度で、生のまま丸ごと食べるのが良い。

また、野菜や果物にはフィトケミカルが含まれている。フィトケミカルはその代表格にあたるポリフェノールにはがん発生の原因になる活性酸素を体内から除去、がん発生の原因になる悪玉コレステロールを減らす働きもある。

 

代謝の速いビタミン類は3食毎に補給する

中でも、緑黄色野菜や果物はビタミンの宝庫。

例えば、脂溶性ビタミンに関してはビタミンAはニンジン、カボチャ、モロヘイヤ、小松菜、トマトに多く含まれている。ビタミンEはカボチャ、モロヘイヤ、アーモンド、落花生に多く含まれている。水溶性ビタミンのビタミンCはパプリカ、菜の花、ブロッコリー、キウイ、イチゴ、オレンジに多く含まれている。 このビタミンACEは相互作用があり、併せて摂取することで効果はさらに増す。

 

キノコ類をたくさん食べるには

ハナビラタケ、干しシイタケ、シメジ、キクラゲ、エノキにはガン細胞を攻撃、殺傷する2次免疫(獲得免疫)を高めるβグルカンが大量に含まれている。

 

乳製品について

牛乳、バター、チーズなどの乳製品には、ガン細胞の活動活性を上げるIGF-1(インスリン様成長因子)が多く含まれている。とりわけチーズの酸性化力は強烈。ただし、ヨーグルトなどには腸内フローラを整える効果がある。そして腸内細菌が乱れるとガンにかかりやすくなることが知られているため、メリットとデメリットを考慮したほうが良い。

 

牛肉、豚肉、ソーセージが持つ2つの発ガン性物質

牛肉や豚肉、ソーセージなどの加工肉は尿ペーハー、すなわちガン細胞周辺の体内環境を著しく酸性に傾ける。動物性タンパク質を豊富に含んだ牛肉や豚肉や加工肉などを焼いて調理する過程で2つの発ガン性が生成されることがわかってきている。1つはHCA(ヘテロサイクリックアミン)、もう1つはPAH(多環芳香族炭水化物)と呼ばれる物質。HCAは肉類を焼いた際にできる黒いコゲに含まれている。PAHは炭などに落ちた肉類の油から立ち上がる煙に含まれている。どちらも有害物質。

 

 

100歳でも元気な人の共通点

(1)心臓、腎臓、血管の衰えが緩やか

(2)肉が好き アルブミンの血中値が多い

(3)青魚(さんま、いわし、さば)を良く食べる

(4)1回30分、週2回以上の運動習慣 85歳時点で運動習慣がある人はその後の健康状態が良好

(5)年齢に合わせて、上手に生き方を変えられる 60歳代までは激しいスポーツ、70歳代以降は緩やかなスポーツ

(6)誠実で勤勉 規則正しい生活(自分で決めたルーティンを守る)

(7)社交的で親切

老後の生活に向けた心構え

先日、「80歳の壁」を読みました。

本の内容を簡潔にコメントします。

コレステロールについて

循環器内科の医師は高齢者に「コレステロール値を下げよ」と指導する。動脈硬化になりやすく、心筋梗塞脳梗塞で死ぬ人が増えるからであるが、コレステロール値を下げれば免疫機能が低下し、ガンが進行したり、感染症にかかりやすくなる。さらに、男性ホルモンも減って、元気や意欲がなくなり、筋力が低下したり、感情が不安定になる。

ガンの手術について

80歳を過ぎるような高齢者はガンが見つかっても、それが痛みの元になったり、食道などの通過障害の元にならない限り、手術の必要はない。80歳を過ぎて臓器を切り取られたら、これまでのようには生活できない。

三つのムリをやめる

①薬の我慢

薬はすべてをやめる必要はないが、最小限の薬にとどめることが高齢者の薬との付き合い方である。

②食事の我慢

80歳目前の高齢者になったら、「食べたいものを我慢してダイエット」などは確実に老化を進める。

③興味あることへの我慢

何かに興味を持つということは脳が若い証拠。それを実行することで脳は活性化し、体も元気になる。

脳の前頭葉を刺激する

年を取ると、脳の海馬と前頭葉に萎縮が見られる。海馬は記憶を司る部分、前頭葉は思考、感情、行動、判断を司る部分。前頭葉の働きが衰えると、考えることが面倒になる。感情をうまくコントロールできない。喜怒哀楽が激しくなる。意欲が衰える。→これを予防するためには前頭葉にとって最も効果があるのが「したいことをする」ということ。

認知症について

認知症は「もの忘れ」から始まる。その次に起こるのが「失見当職」。場所、時間の感覚が悪くなり、道に迷うとか、いまの時間がわからなくなる現象が起こる。さらに、「知能低下」が起こる。人の会話がわからない。本を読んでも読めない。テレビを見ても意味がわからないということが起こる。 認知症の進行を遅らせる最良の方法は頭を使ったり、体を動かしたりし続けること。

80歳を過ぎた高齢者にとってのお薦めの生き方

自分の人生をあるがままを受け入れ、何も恐れず、何も心配しない。したいことをして、食べたいものを食べ、会いたい人に会い、言いたいことを言う。そして、口笛でも吹きながら今日という日を気ままに生きていく。→「レット イット ビー(Let it be)で生きる。

 

これまでの旅の記録

【海外】

1980年8月 アメリカ合衆国 37日間の旅

大学2年生の夏、格安航空券というものがあることがわかり、西新宿の秀インターナショナルサービス(現HIS)で成田→(大韓航空)→ロス→(アメリカン航空)→シカゴの格安航空券、30日間のグレイハウンドバス周遊券を25万円で購入。都市銀行でトーマス•クックのトラベラーズチェックを25万円分購入。(1ドル250円)      

8月11日                   

成田発の大韓航空ボーイング747)でアメリカへ向かった。 途中、ホノルル空港で給油して、ロスアンゼルス空港(LAX)には午後8時頃到着した。 LAXで国内線(アメリカン航空)への乗り継ぎ時間が4時間ほどあり、シカゴ行きの深夜便がテイクオフしたのは深夜0時過ぎだった。 シカゴのオヘア空港に到着したのは午前4時過ぎだった。 シカゴのYMCAに2泊(1泊13.6ドル)した。 YMCAは食事なし、シャワー共同で大変リーズナブルな料金で宿泊できる。 滞在中にシャワーを利用したが、隣に190cmオーバーの黒人がいて、お尻を触られたときはゾッとした。 また、エレベーターで二人組の黒人が「この電卓は性能が良くて安いので、買ってくれ」と言うので、見たらカシオのマーク。 「いらない」と言ったが、付いてくるので部屋まで来られないようになんとか断った。 シカゴではフィールド自然史博物館、レイクミシガン、シカゴで一番高いシアーズタワーを観光した。                

8月15日                    東海岸へ向け、出発!             シカゴのバスディーポから東海岸に向かうためのグレイハウンドバスを利用した旅が始まった。まず、シカゴからデトロイト、ナイアガラ、バッファローを目指した。 ナイアガラで途中下車して、ナイアガラの滝を観光した。 滝の水量と水が落差50m下に落ちる水煙に圧倒された。

8月17日

3日かけてボストンに到着した。 ボストンはアメリカでもっとも歴史の古い街の一つで、街を歩いても古いたたずまいを感じさせてくれる場所があり、心地よいところで、とても気にいった。 ボストンでもボストンYMCAに3泊した。(20.5ドル×3=61.5ドル) ボストンコモン公園、チャールズリバー、MIT、州議事堂、ビーコンヒルを観光した。

                     

8月20日                 

いざ、ニューヨークへ!           ボストンを午前中に立って、約4時間半かけてニューヨークに到着した。 マンハッタンはウォール街に世界最大の証券取引所があるアメリカ経済の中心地、また、ブロードウェイのミュージカルに代表されるショービジネスの中心地でもあり、とてもエキサイティングな街である。 さっそく、バンダービルトYMCAにチェックインした。(18ドル×3泊=54ドル) エンパイアステートビルの86階の展望台からは眼下に貿易センターのツインビルやハドソン川が望め、眺めは圧巻だった。 国連ビル、リバティ島自由の女神を観光した。 また、ゴードンさん経営のJAZZのライブハウスであるVillage Vanguardでビールを飲みながら、ウッディショークインテットのライブを堪能した。

                     

8月23日 

ニューヨークからワシントンDCに到着。 ワシントンDCではB&B(Bed and Breakfast)を利用した。 ホワイトハウス周辺を観光した。 

8月24日 

南部へ                  

ワシントンDCを後にして、夜行バスを利用して、南部を目指すことにした。 夜行バスを利用すると、宿泊代が浮くため、とてもリーズナブル。 ただし夜行バスが続くと、さすがに疲労感が残った。 アトランタニューオリンズサンアントニオを目指した。 ニューオリンズではフレンチクォーターで、メキシコ湾で採れたオイスターをレモン汁をかけて、トマトケチャップで食べたが、実が大きく、美味しかった。  サンアントニオでは1983年のアラモの戦いで有名なアラモ砦を見学した。 

8月28日

4日かけてエルパソに到着

夜行バスで連続して移動し、疲労がたまっていたので、エルパソで一泊した。 エルパソ市内のレンジャーピークを観光した。 そこで、インドネシア出身のディー・ドシという若者と知り合って、ホテルの部屋でビールを飲みながらの国際親善だった。 

8月29日

グランドキャニオンへ

エルパソからツーソン、フェニックス経由でグランドキャニオンに入った。 バスが停車して、グランドキャニオンの180度のパノラマを見た瞬間、そのスケールの大きさに息を飲んだ。 遠くに小型飛行機がハエくらいの大きさで飛んでいるのが見えた。 グランドキャニオンではロッジに宿泊したが、真夏なのに部屋の中も寒かった。 

9月1日

ようやく西海岸へ到着

東海岸のボストンから12日かけて西海岸のロスアンゼルスに到着した。 旅を始めて20日経過していたが、その間日本食を食べていなかった。 ロスにはリトル・トーキョーという日本人街があることは調べていたので、レストランに入り、トンカツ定食を注文した。 米はカリフォルニア米で水分の少ない米だったが、久しぶりに食べる米は美味しかった。 ロスは宿泊せずに、南下してサンディエゴへ向かった。 中学生の時にラジオからアルバートハモンドの歌う「カリフォルニアの青い空」が流れていたが、カリフォルニアの空はやはりどこまでも青かった。 サンディエゴで一泊して、市内のシーワルドを見学した。

9月2日

サンディエゴからロスに戻り、ロスでホテルクラークに一泊(26.88ドル)して、ラスベガスへ向かった。

9月3日

ロスから砂漠を走り、遠くに一大ネオン地帯が見えたかと思ったら、そこがラスベガスだった。 フレモントストリートのバジェットインというドライブインに宿を決めた。 ラスベガスはメインストリートのラスベガスブルバードの方が高級で華やかな雰囲気がある一方で、宿のあるフレモントストリートの方は庶民的な感じだった。 カジノで少し遊んだ。

9月5日

思い出のサンフランシスコ

9月5日にラスベガスを後にして、リノ経由でサンフランシスコに入った。 宿泊先はユニオン•スクウェア近くのホテル•ストラットフォードにという安宿にした。 当初、3泊の予定だったが、ホテルで知り合った青山学院大の斎藤さんや北陸出身の女性2名と知り合いになり、行動を共にするうちにもっと滞在したいという気持ちになり、結局8泊した。(1泊21.8ドル×8=174.4ドル)  この滞在期間中にフィッシャーマンズ•ワーフ、ロシアンヒル、コイトタワー、ピア39、ロンバードストリートヒルを観光した。 

サンフランシスコは坂の多い街で、ケーブルカーが縦横に走っているため、どこに行くにも便利だった。 BALCLUTHAという船でサンフランシスコ湾をクルージングした。 また、BARTという地下鉄でUCバークレーに行った。 アメリカの大学のキャンパスは広大だった。 ある朝ピア39に行ったら、日本テレビの「アメリカ横断ウルトラクイズ」のロケ現場に出くわした時はビックリだった。 記念に司会の福留アナと写真を撮った。 斎藤さんからサンフランシスコの西側の太平洋に面した岩壁にクリフ•ハウスというレストランがあるので、行ってみようとの提案があった。 風が強く、肌寒い場所にあるクリフ•ハウスではアイリッシュ•コーヒーを飲んで身体を温めた。 夕食は中華料理を食べに、よくチャイナタウンに行った。 日本で購入した格安航空券は帰りの航空券は発券されておらず、バウチャーという引換券が渡され、自分で帰りの便を予約しなければならなかったため、サンフランシスコの大韓航空のオフィスに行って予約を入れようとしたが、「ロス→ホノルルは予約できるが、ホノルル→成田は予約が取れない」と言われた。 成田までは飛べないと言われても、とりあえず、前に進むしかないと思った。

9月14日

9月13日夜にサンフランシスコを後にして、11時間かけて、早朝ロスに到着。 すぐ、大韓航空のカウンターでチェックインして、午前9時30分のホノルル行きの便に乗った。 ホノルルには午後3時30分に到着。 そのまま、ホノルルYMCAにチェックイン。 所持金が残り少なくなっていたため出費を抑えようと思い、食事はアラモアナ•ショッピングセンターのパン屋でパンと牛乳を買って、部屋で食べた。 せっかく、ホノルルに滞在しているのに観光できないなんてちょっとショックだった。 ホノルル⇒成田の予約を入れるためにはキャンセル待ちしかないと言われていたので、翌日の9月15日に空港に行ってキャンセル待ちしたが、結局、乗れなかった。 何日も飛行機の予約が取れないことを考えて、観光もしなかった。 

 

9月16日

この日も朝からキャンセル待ちしようと思い、空港に向かった。 空港でキャンセル待ちしていると、「成田行きに乗れますよ!」とのアナウンスがあり、一安心した。 KAL001便は午後1時にホノルルを後にして、成田に向けて出発した。 37日間のアメリカ旅行だったが、アメリカの雄大さと豊かさを実感できた旅だった。 20歳代で行けたことで、視野が広がり、その後の人生において何ものにも替えがたいものとなり、ますますアメリカに魅せられることとなった。

 

1987年5月 ハワイ 5泊7日の旅

5月17日に結婚式を挙げて、翌日に宮崎空港から福岡空港経由で夜の便でハワイのホノルルに向けて、飛び立った。 航空会社はハワイアン航空のチャーター便だった。

 

ハワイ時間5月17日

ホノルル国際空港には8時間後の朝に到着した。 到着後、団体でダイヤモンドヘッドなどの市内観光をして宿泊先のアイランド・コロニーに送ってもらい、チェックインして周囲を散策したが、常夏の島らしく気温は30℃近かったが、日本のように湿度が高くないため、過ごしやすかった。

アイランド・コロニーは長期滞在者向けの宿泊施設で、部屋にキッチンが完備されていたが、ワイキキビーチの近くのアウトリガーホテルのレストランでシーフード料理を食べた。 自分はマヒマヒ(日本ではシイラ)、妻はオレンジラフのグリルだった。 両方とも白身魚でとても美味しかった。

 

ハワイ時間5月18日

この日はワイキキビーチに行って日光浴。 黒人の男性がビーチでビーチで日光浴をしていたのは驚きだった。 ランチはバーガーキングでワッパーを食べた。 午後は旅行のみやげを買いにABCストアーに行った。

 

ハワイ時間5月19日

この日はオプショナル・ツアーで日帰りのハワイ島観光だった。 ホノルル空港からハワイ島のコナ空港まで飛んだ。 50分で到着し、観光バスに乗ってキラウエア火山の麓まで行った。 ドロドロした溶岩が流れ出しているのかと思ったら、キラウエア火山は粘度が強いため、進みが遅かった。 溶岩の近くまで行くと、熱さが伝わってきた。

ホノルルには夕方到着し、クルーズ船に乗って、船上ポリネシアンショーを見ながら、ディナーを食べた。

 

ハワイ時間5月20日

何も予定が入っていないフリーの日で、昼前からホテルのプールで泳いだ。     午後からバスに乗って、アラモアナショッピングセンターに行き、友人にプレゼントするTシャツを買った。 用意していたドルが不足してきたので、日本円をドルに両替した。

 

ハワイ時間5月21日

帰国の日。 昼前にホテルをチェックアウトして、空港に向かった。 空港でみやげを買って、出国手続きを済ませ、出発ロビーで待った。 現地時間午後3時の飛行機でホノルルを後にして、福岡空港に向かった。 

 

日本時間5月22日

飛行機は午前10時に福岡空港に到着した。

 

 

2011年6月 マレーシア 5泊6日の旅

2011年6月17日(金)

いよいよ旅の始まり。

午前7時15分の京成船橋駅から成田エアポート行きの電車に乗った。             結婚24年目で今回が2度目の旅。 1度目はハワイへのハネムーンだった。 随分、歳月が流れたものだ。  午前8時7分に成田空港第2ターミナルビルに到着。 総合カウンターで受付し、自動チェックイン機でチェックイン。 2日前にJALのHPでWEBチェックインし、座席も指定していたので、手続きはスムーズだった。(WEBチェックインは出発の72時間前から可能)   軽いbreakfastを済ませ、再び総合カウンターに戻り、出発の説明を受けた。 KLIA(クアラルンプール国際空港)では国内線への乗換で90%の人が順路を間違えると言っていた。 その後、出国手続きを済ませ、45分遅れの正午ちょうどにJAL723便(B767-300)は日本を飛び立った。

所要時間6時間40分でKLIAに到着した。

(現地時間午後5時40分)   入国審査を済ませ、国際線ターミナルからエアロトレインで国内線ターミナルへ。

18時20分の国内線の乗り換えまで時間があったので、スマホを海外で利用できる設定にした。  マレーシア航空MH1164便は定刻どおりにKLIAをtake off。 50分でpenang airportに到着した。 現地ガイドの孫(スン)さんが出迎えてくれた。

移動中のバスの中でガイドの孫さんが日本円をマレーシアの通貨リンギット(RM)に両替してくれるというので、2万円を688RMに両替してもらった。(1RM=29円)

宿泊先のCiti Tel Penangにチェックインし、Red Courtという屋台に行き、夕食を取った。 いろんなお店が並んでいて、客も多かった。 我々は福建めんを注文し、瓶のカールスバーグビールを飲んだ。(福建麺1杯4RM、カールスバーグビール1本13RM)

 

ペナン島観光

6月18日(土)

午前9時にホテルを出て、トライショーで世界遺産ジョージタウンを回った。

インド人街もあった。 スリマハマリアマン寺院、カピタンクリンモスク、クーコンシー、コーンウォーリス、セントジョージ教会を観光した。

その後、インド料理の店でランチした。 午後12時30分現在、気温は33度。

ランチの後、ペナン大橋を渡り、ブキットメラのレイクタウンにあるオラウータンの保護島へ。  島へはフェリーで20分。  ここから3時間かけてキャメロンハイランドへ向かった。 到着後、夕食はスチームボート。 “蒸気船”という意味だが、これは鶏ガラスープ、野菜、シーフードたっぷりでとてもtaste good!  旅行者の皆さんに好評だった。

夕食後、今夜の宿泊場所のHeritage Hotelへ。 英国風のたたずまい。 部屋も古びていたが、広かった。 標高が1,800mと高いこともあり、とても寒かった。

 

Bohteaでティータイム

6月19日(日)

ホテルで午前7時過ぎに朝食を取り、午前8時30分に出発。

キャメロンハイランドのBohtea(紅茶)の工場に向かった。 山間の見渡す限りの茶畑。

茶摘みは1年間に何回もやっていて、1つの木で150年も持つそうだ。  この茶摘みにバングラディシュから労働者を集め、1kgの茶葉に対して40セン(10円)の料金を払っているらしい。  

Bohteaの工場を見学して、紅茶を試飲した。 そのあと、はちみつ、バラ園を見学。 Heritage Hotel近くに戻り、昼食をとった。

今日のランチはきし麺。 スープは鶏スープ、それにモヤシと蒸した鳥を麺の上に乗せて食べた。  あっさりとしていて美味しかった。 これもマレー料理だそうだ。

マレーシアはそれにしても鳥をよく食べるようだ。 宗教も影響しているのだろう。(イスラム教は豚が、ヒンズー教は牛がダメ)

今回の我々の24年ぶりの旅のガイドを務めてくれているのは現地の42歳の孫(呼び方はソンさんではなくスンさん)さん。 なんでも、彼の祖父が中国の福建省から移り住んできた人のようだ。 とにかくよくしゃべる、明るい人だ。 この旅の中で、いろんな話をした。

例えば、マレーシア人も旅をする時よほど前から旅が決まっていれば、LCCを利用するが、通常はマレーシア航空を利用するようだ。 理由はマレーシア航空だとトランジットする時に遅れても、乗り継ぎの補償をしてくれるが、LCCだと待ってくれない。

マレーシアでは車検がない。 マレーシアのハイウエイは速度制限が時速110km。 警察とは交渉次第で、車や麻薬の犯罪もお金次第。 年金は55歳からもらえる。 マレーシア人の平均寿命は70歳くらい。 

バスはキャメロンハイランドから下って高速道路を南へ。

スンカイという町に入った。 行先は足湯。 小川のように作られている足湯に膝下くらいまで入れるととても気持ちよく、足を引き上げるとホッとした気分になった。

一般道路の両サイドに油ヤシ園が見える。 年3回収穫するんだと言っていた。

昔はゴム園が多かったが、ゴムは今は儲からないとのこと。

油ヤシから取れるパーム油(石鹸や洗剤の原料)の方が儲かるようだ。

 

真夏のクリスマスツリー

スンカイを出て、クアラセランゴールへ向かう。 ここで夕食に海鮮中華を食べた。 

炒飯と揚げ物数種類。 日曜日の夕方と言うこともあり、客がとても多く混雑していた。 辛くなく、日本人に合うとても良い味付けだった。

 

夕食後のアクティビティは蛍観賞。

日本でも夏に蛍が見られるのは地方だけだが、ここマレーシアでは一年中見られるらしい。

船着き場に行き、船を待っている観光客がいた。 ライフジャケットを着て、待っているとボートが来て、濁った川の上流に上ると2~3ミリの蛍が木に光を放って、群棲していた。

真夏のクリスマスツリーを見るようで、とても奇麗だった。 クアラルンプールのクオリティホテルには午後9時30分に到着した。

 

いざ、マラッカへ

6月20日(月)

午前6時にwake up callが鳴った。

外は曇っている。 午前6時30分には1階のバイキングレストランに入った。

今朝は野菜とフルーツ中心の朝食にした。 旅行中に運動せず、食べてばっかりの毎日なので、少し胃が重たい感じがしたためだ。 バスは午前8時30分にホテルを出て、KLセントラル駅へ向かった。  今日はKLセントラル駅からマラッカへの鉄道の旅である。 

午前9時15分に列車はKLセントラルを出発した。 ガイドの話だと平気で1時間近く遅れるらしい。 こういうところが日本の鉄道事情と違うところであるが、のんびりしている感じである。 このマレー鉄道は1885年に開業し、当時はスズを輸送するために使われていたらしい。 それにしてもこの列車は乗る前から聞いてはいたが、寒すぎるくらい冷房が効いていた。 スイッチがオンとオフしかないそうである。 

約2時間でタンピンという駅に着いた。 運転手のマーさんがバスを先回りさせて、駅の出口に横付けしてくれていた。 ここから1時間かけて、マラッカ市内へ到着した。

ランチはニョニャ料理だった。  ニョニャとは中国人の男性とマレー人の女性の間に生まれたプラナカンの女性の呼び名。  だから、ニョニャ料理とは中華料理とマレー料理のミックス。 味は辛さがなく、中途半端な感じだった。  

昼食後に青雲亭、オランダ広場、スタダイス、セントポール教会跡、サンチャゴ砦跡を観光した。  

1641年当時マラッカを支配していたポルトガルがオランダに敗れ、そのオランダは貿易に関心がなく、その後のイギリスによって貿易が盛んになった。 日本も太平洋戦争の初戦で一時マレー半島を統治していた。 外気は35度。  ジリジリととても暑いが、念願だった世界遺産も観光できた。

市内のお土産物屋に立ち寄り、なまこ石鹸と黒コショウを買った。

マラッカから帰路の途中、フルーツショップに立ち寄り、フルーツを試食した。

南国にしかないジャックフルーツやパイナップル、バナナ、マンゴーを味わった。

さすがに南国で採れたものだけあって、濃厚な味で美味しかった。

中国人の観光客が来ていたが、彼らはドリアンを食べていた。 

普段なら平日の夕方は帰宅ラッシュ道路が混雑するようだが、今日は順調にクアラルンプール市内に入った。 今日のディナーはマレー料理。 「漁無火鍋」という店に入った。  3食続いたナシゴレン(炒飯)には少し抵抗があったが、このパサパサしたご飯も炒飯にすると結構美味いと思うようになった。 はっきり言って、マラッカのニョニャ料理より美味かった。 

 

KLナイトツアー

予定していなかったが、ガイドが提案してくれたKLナイトツアーに参加した。

行先はKLタワー。 エレベーターで一番下の展望台に着き、眼下に広がる夜景を眺めた。 日本の夜景は白い光が多いが、クアラルンプールは黄色い光が多いそうだ。

地上に降りて、光輝くペトロナスツインタワーを頭上に見た。 宝石のように輝いていて奇麗だった。 1名2,500円払ってもツアーに参加してよかった。

 

市内観光、帰国の途へ

6月21日(火)

午前7時30分に起床。  今日の午前中は自由時間。 朝食を食べて、部屋に荷物を置いたまま、ホテルを出てバンダラヤ駅(プトラLRT)に向かう。 

この駅からマスジッドジャメ駅で乗り換え、一つ目のパサールセニ駅で下車。

約5分で関帝廟に到着。 受付のおじさんが人懐っこく近づいてきて「写真を撮ってあげるよ」と言ってくれたので、何枚か撮ってもらった。

その後、ヒンズー教のスリマハマリアマン寺院、セントラルマーケットで娘たちへのお土産を買って、パサールセニ駅からマスジッドジャメ駅に戻り、旧モスクマスジッドジャメを観光。 受付で係りのおばさんに「女性は肌を見せてはいけない」と言われ、妻は全体を黒い服で覆い、ピンク色の布を頭にかぶり、モスクを見て回った。

クオリティホテル近くのSOGOの1Fのフードコート内のパン屋でパンを買い、ホテルの部屋で昼食を取った。 

午後からの市内観光は午後1時30分の集合だったので、805号室から1階のロビーに向かう。 バスの運転手マーさんが出迎えてくれた。 

クアラルンプール郊外のスズのピューターを作っているロイヤルセランゴールという会社を見学。 市内に戻り、王宮(イスタナネガラ)、国家記念碑、国立モスク、ムルデカスクエア(独立広場)、スルタン・アブドゥル・サマドビル(旧連邦事務局)を見て回った。

夕方、チョコレートショップでショッピングをし、KLIA近くで夕食の広東料理を食べた。

夕食後はKLIAへ。 集合の2時間30分前に到着。 空港内のスターバックスで時間をつぶし、現地時間22時50分発のJAL724便でKLIAを後にした。

6日間という短い旅だったが、マレー半島をバスと鉄道で縦断し、ミックスカルチャーを体験でき、とても満足だった。 マレーシアへの6日程度のツアーでは現地通貨への両替は2~3万円程度で十分である。

 

2017年3月 ベトナム 3泊4日の旅

2017年3月5日 私にとっては大学時代からすると4回目の海外旅行である。

前回のマレーシアの旅から5年目である。

京成船橋駅から午前6時6分発の電車で成田空港第一ターミナルに向かい、1時間で到着。

旅行代理店から出発の2時間前の午前8時にはベトナム航空のカウンターで搭乗チェックインの指示があったので、手続きを取り出国手続きを済ませ、出発ロビーで待っていた。   成田を午前10時に飛び立ったベトナム航空VN311便(ボーイング787は南に向け順調に飛行を続けた。 

ハノイノイバイ国際空港には午後1時40分に到着した。

ベトナムは日本より2時間の時差がある。 飛行時間は5時間40分だった。  

入国手続きを済ませ、手荷物をピックアップして出口に向かうと、現地ガイドのホンさんが出迎えてくれた。 ベトナムは15日以内であればビザも、入国カードの提出も必要ない。 手続きがとても楽である。 3月のハノイは寒くなく、暑くなく良い気候だ。 ただ、気持ちよく晴れていないのが残念だった。 空港からバスでハノイ市内に向かった。 バスでホン河を(紅河)を渡った。

このホン河は中国の黄河の支流になるとのことだった。 ハノイベトナム語川の中”という意味だそうだ。 市内に入ると、道路がものすごく渋滞していた。 この日は日曜日の午後というのにこの有様で、特にオートバイの数が半端ではなかった。 その数は700万台に上るらしい。 80%が日本製とのことだった。 

ベトナムではオートバイの免許は18歳から取れるそうだ。 人口構成が日本と違って、きれいなピラミッドになっていて、若者が多いので、これから経済が発展しそうな予感を感じる。 ガイドのホンさんはベトナムでもビールはよく飲まれているとのことで、ハノイビール、サイゴンビール、333ビールとあるようだ。 333ビールがお勧めだと言っていた。  

 

最初のハプニング

1日目の宿泊先のSunny 3 Hotelに午後4時前に到着した。 

チェックインして、カードキーで部屋に入り、荷物を置いて、部屋を出ようとしたら、ドアの鍵がかからない!  従業員を呼んで見てもらったが、直らなかったので、鍵を渡された。 旅にはよくあるハプニングだ。

ホテル到着が遅れたため、日本で用意していた散策プランを諦め、ハノイ大教会に行くことになった。

フロントでタクシー(ハノイタクシー)を呼んでもらった。  ホテルのチェックインの際に挨拶した木下さんが現れた。 我々が「ハノイ大教会に行くんです。」と言うと、「じゃー、一緒に行きましょう」ということになり、3人で行くことになった。 ハノイ大教会前でタクシーを降りると、ハノイ大教会前には観光客でごった返していた。 

ちょうどミサが始まっており、教会の中に入れた。 壮麗な雰囲気を醸し出していた。 

この教会はもともとは1886年に建築されたネオゴシック様式で、1900年初頭に現在の姿に改築された。 130年以上前に建築されたとは歴史を感じる存在感のある建築物である。 

ガイドのホンさんに紹介されたベトナム料理店のPORTE D’ANNAMに行くと、午後6時からなら予約ができると言われ、予約して午後6時に集合することにして、我々は旧市街の街歩きをすることにした。 いろんな店がある。 あてもなく歩いているとホアンキエム湖にたどり着いた。 日曜日なので、たくさんの人がいた。

午後6時前に店の近くに戻ってくると、教会がライトアップされていて、とても奇麗だった。 6時頃に木下さんも戻ってきて一緒に店に入った。 揚げ春巻きや魚のすり身を焼いたもの等、ビールもハノイビール、サイゴンビールを注文した。 癖がなく、食べやすく、おいしかった。  白人も多く、結構観光客の中では有名な店だったのかもしれない。 

食事後、木下さんは旧市街に行きたいというので、我々はタクシーでホテルに帰ることにした。 

流しのタクシーを捕まえようと思い、ホンさんに「安心なのはハノイタクシーです」と言われていたので、ホテル方向に車が流れている道路まで移動して、ハノイタクシーを拾おうと思ったが、暗くてよくわからず適当なタクシーを止め、ホテルの住所を伝えると「OK」というので、「いくら?」と聞くと「メーター」と言うので”メーターのとおりの料金です”という意味だと思い、乗車した。 20分くらいで、ホテルに到着して料金を聞くと、「33万ドン」と言われた。 この高額な金額を聞くと、一瞬引くが1ドンは0.0057円なので、日本円で1,881円だった。 まともな料金なので、ホッとした。 

 

ハノイのトイレ事情

マレーシアもそうだったが、ハノイのホテルのトイレも便器の横にシャワーのようなノズルが付いていた。 日本のウォシュレットのようなトイレはない。 マレーシアでもこのノズルの用途が分からなかったが、要するに手動式ウォシュレットなのだ。 用を足した後に手動でお尻を洗うためのものだ。 マレーシアでは使わなかったが、ハノイでは使ってみた。  日本でお尻を洗う習慣になっているため、洗った後は気持ちよかった。

 

バッチャン村へ出発

翌日3月6日は午前5時30分に起床し、午前6時から11階の食堂でビュッフェスタイルのベトナム料理。 フォーやベトナムコーヒーを味わった。

午前7時20分にホテルをチェックアウトして、バスで焼き物で有名なバッチャン村に向かった。 ガイドのクァンさんが戦争のこと、経済のこと、文化のこと、ベトナムの今昔を話してくれた。

クァンさんがベトナムの経済発展が遅れた理由は戦争が長引いたため(フランス統治時代100年、ベトナム戦争30年、中国との国境紛争5年)で、国内産業も育っていないため、車も、電化製品も外国製、特に日本製が多いと冗談交じりに言っていた。 でも、ベトナム人口ピラミッドで老人が少なく、若者が多いという意味で現在の9,200万人の人口が日本に近づいてくると言っていた。

 

海外でのモバイル事情

成田空港のworld counterでWorld Wingを問い合わせしたが、実際に現地に来てみると、その心配は杞憂だった。 ホテルのロビー、部屋どころかツアーバスの中でもwifiが利用できることが分かった。 ちなみに、宿泊したのはスタンダードクラスのホテルである。  無駄なコストをかけないためにもworld wingは必要ないと思った。

バッチャン村に約1時間30分で到着。

この焼き物は古代王朝時代から作られていたらしく、出土される物もこのバッチャン焼きがほとんどらしい。 娘への記念の土産としてコーヒーカップと鍋敷きを購入した。(1,127,500ドン=51.25ドル=6,652円) 

バッチャン村から3時間30分かけて、ハロン湾に到着した。

 

憧れのハロン湾

曇りでちょっと残念だったが、船乗り場からフェリーに乗り込んだ。 ほどなくランチが出されてきた。 最初はハロン湾で採れたエビの茹でたもの。 調味料が数種類出されたので、剥いたエビに付けて食べた。 野菜スープ、イカの炒め物、カニのコロッケが出された。

水も有料なので、ガイドのホンさんがベトナムで1番人気だと言っていた、飲みたかった333ビールをオーダーした。 食後に船外に出てみるとハロン湾の奇岩が近くに迫っていた。 写真で見るハロン湾の風景に息をのんだ。 やはり実物は圧巻である。

数年前に世界遺産の勉強をしていた頃から行きたかった世界遺産の1つである。

この後上陸し、鍾乳洞を見物した。 見物後に再び乗船し、船乗り場に戻った。 

下船後にバスでホテルに乗ってホテルに向かった。 この日のホテルはBMCタンロンで、広い部屋で快適だったが、やはり窓の作り、浴室等よく見ると一つ一つが日本ならこんな作り方はしないと思う安普請だった。(窓を閉めるとレバーがうまくかからない、カーテンが全部閉まらない、浴室の金具のネジが緩んでいた)  チェックインして、午後6時にフロント前で集合して、ナイトマーケット、夕食に行った。

ナイトマーケットはまがい物か値段がとても安かったが、Tシャツだけを5枚値切って買った。(60万ドン≒3,420円、1枚684円) 夕食は中華のシーフード料理だった。(スープ、エビと野菜の蒸したもの、蒸しカキ、辛くない麻婆豆腐、蒸した魚、炒飯)

 

ハノイへリターン

3月7日は午前6時に起床し、午前6時30分から2階の食堂でフォーやおかず、ベトナムコーヒーを食した。 午前8時25分にロビーで集合して、バスでハノイに向かった。

NHKワールドニュースの天気予報ではハノイは雨とは言っていなかったが、午前から小雨が降ってきた。 途中でトイレ休憩と政府がやっているおみやげ物ショップに寄った。  食べ物はこういう政府が営業しているまともな店で買うのが良いと思った。 品揃えが豊富だった。 ベトナムは世界でもコーヒーの産地として有名になっているので、コーヒーのコーナーに行くとジャコウネコのコーヒーが売っていた。

ジャコウネコのコーヒーと言えば、洋画の最高の人生の見つけ方の中で、大富豪役のジャックニコルソンがデミタスカップで飲んでいたコーヒーが「コピルアク」と言って1杯が5,000円くらいする高級なコーヒーのようだが、ベトナムのジャコウネコのコーヒー(9ドル)はリーズナブルだった。  

約3時間30分かけてハノイに到着し、ランチはオペラハウスの地下のレストランでフレンチを食べた。(野菜サラダ、フランスパン、ローストチキン、デザート、有料コーヒー)   ベトナムは生水が飲めないということもあり、すべて食事の時は水はもちろんすべての飲み物が別料金だった。  

ランチの後に今回の旅行の2つ目の世界遺産であるタンロン遺跡ホーチミン廟、文廟、ハノイ大教会、一柱寺をバスと徒歩で観光した。 

その後旧市街、ホアンキエム湖のほとりを歩き、水上人形劇場を見た。 

 

帰国の途へ

夕食にハノイ名物料理を食べ、ノイバイ空港に向かった。 午後9時30分と早めに到着したため、出発まで3時間あったので、早めにチェックイン、出国手続きを済ませて、出発ロビーで時間を過ごした。 同じ行程だった木下さんと雑談した。 木下さんは日産自動車の技術部門で働いている人だが、ベトナムは初めてだと言っていた。 木下さんのパスポートを見せてもらったが、結構、出張が多く、遠くはジャマイカや中東にも行っていた。 

午後11時50分から搭乗手続きが始まり、搭乗して、午前0時45分にノイバイ国際空港をテイクオフした。

 

成田には午前6時40分に到着した。 冬期の東南アジアから日本への飛行はフォローのジェットストリーム(偏西風)が強く、時速350km以上にもなるとのことだ。

ノイバイの離陸時間を日本時間で計算すると午前2時45分だから、成田には飛行時間4時間で到着したことになる。 往路よりも1時間40分も短かったことになる。

飛行中にモニターを見ていたが、高度12,500mを1200kmで飛行していた。

成田空港で入国手続き、手荷物を受け取り、午前7時45分羽田空港国際ターミナル行きの快速特急に乗り、京成船橋に午前8時32分に着いた。

 

2019年3月 アメリカ東部 5泊6日の旅

2019年3月7日、待ちに待った今日からアメリ東海岸への旅の始まり。

旅はこれが人生5回目。 前回のハノイから2年目である。

そして何と言っても、今から39年前の大学2年生の夏に初めてアメリカ大陸を1周した時に立ち寄ったニューヨークという思い出深い場所である。

24時間前から事前のWEBチェックインができるとのことだったので、自宅で済ませていたため手続きはスムーズだった。 手荷物を預ける時にマイレージの登録依頼をして、出国手続きを済ませ、出発ロビーで搭乗手続きを待っていた。 

今回のツアーに参加しているのは26名とのことである。

また、日本航空の成田⇔ニューヨーク便は1966年11月に就航以来、53年も経つという。

成田から定刻19時30分発のJL004便は50分遅れの20時20分にテイクオフした。

小雨の中のフライトだった。 機体はボーイング777-300ERで3×3×3の横9列はさすがに大きい。 すぐに1回目の機内食(夕食)が出された。 メニューはメインディッシュが牛肉の赤ワイン煮込み ペンネ添え、サイドディッシュがたけのことインゲンの干しエビ香り炒め、ラタトゥイユ、デザートがなめらか杏仁だった。 JALはこれにハーゲンダッツ アイスクリームが付いてくる。 これから約12時間55分の長旅である。 水を切らさないようにドクターから指示を受けているので、出国手続きを終えた後に5本のペットボトルのミネラルウォーターを購入して機内へ持ち込んだ。 映画を見ようと思い捜していると、なんと休日に見ようと思っていた「グリーンブック」があるではないか! さっそく、観賞した。

いつの間にか日付変更線を越えていたようだ。 断続的に睡魔が襲ってくるが、長くは眠れない。 そうこうするうちに2回目の食事が出された。 メニューはトリュフオイル使った汁なしのラーメン、サイドディッシュはきのことレンコンのバルサミコ炒め、デザートがアーモンドゼリー パイン入りだった。 

 

いざ入国審査へ

JFKには所要時間12時間のニューヨーク時間18時30分に到着した。 入国審査を受ける列に並び、係官の前に事前に機内で記入しておいた税申告書とパスポート、ESTAを出すと、「Right side, four fingers. Thumb.  Left side,four fingers.Thumb.」と言われ、指示された順番に指の指紋を取られた。 次に、顔写真を取られた。 税申告書を見て、「What kind?」と聞かれた。 これは機内で添乗員から正直に書いたほうがよいとのアドバイスがあったため、食品を所持しているかという質問項目欄にYesと答えていたことにより、どんな種類のものを持っているのかと聞かれたというわけだった。 「クッキー、キャンディー、ウォーター」と答えると、「OK」と言われ通過した。

それと今回、アメリカ旅行に伴い、ESTAを始めて申請していたが有効期限が約2年あることが分かった。 これならあと2年のうちにアメリカに来たいと思った。 

手荷物を受け取り、到着ロビーに行くと同行の人たちはまだ誰も来ていなかった。

「あれ、どこに行ったのかな?」と思っていると現地ガイドの貴子さんが「まだ、みんな通過していませんよ。」と言ったので、近くの椅子があるところで休憩していると、次々と手続きを済ませてやってきた。 

 

ホテルへ

JFKからバスで1日目の宿に向かった。 道路は帰宅時なのか車で込んでいた。

ホテルは隣のニュージャージー州にあるマリオット ニューアーク リバティ インターナショナル エアポートである。 日本出発前にニューヨークの気温を見ていて、なんとなく日本よりも寒いとわかっていたが、3月なのにまだ、ロードサイドにはところどころに雪が残っていて、やはり寒かった。 JFKのあるブルックリンからブルックリン橋を渡って、マンハッタンを経由するのかなと思っていたが、地下のトンネルを通って、マンハッタン島に入った。 夜の闇の中にエンパイアステートビルワンワールドトレードセンターがくっきりと浮かび上がって、美しかった。 この景色を見ると、やはりニューヨークに来たという気分になる。 ハドソン川も地下トンネルを通って、ニュージャージー州に入り、ホテルへ到着。

チェックインして、部屋に入った時には午後10時近くになっていた。

 

3月8日

午前6時にモーニングコールが鳴った。 午前6時30分に朝食を取りに、1Fのレストランへ。 ブッフェスタイルだったが、残念なことに生野菜が無かった。 午前8時にバスでホテルを出発した。 今日はワシントンDCに向かう日である。  バスは宿泊先のニュージャージー州からデラウエア州のサービスエリアで休憩して、メリーランド州を経由してインターステイトハイウエイ95号線を南に進んだ。 

ワシントンDCには4時間30分後の12時30分に到着した。 そのまま、この日のランチ会場のイタリアンレストランへ。

レストランに到着し、バスを下りると小雨が降っていた。 それにしてもニューヨークに着いてから天気は曇りがちである。 レストランではサラダ、パスタ、グリルチキン、スイーツというメニューだったが、パスタが出されるまでに時間がかかり、コーヒーが飲めなかった。 食事が終わり、店の外で現地ガイドの女性が待っていてくれた。 ガイドと一緒にワシントンDCの中心部へ向かった。 小雨の中をホワイトハウス、国会議事堂、ジェファーソン記念堂、ナショナルギャラリーと回った。 この現地ガイドの女性は話しぶりがパワフルだった。 ガイドによれば、ワシントンDCは特別行政区であり、高い建物が建設できないところがニューヨークと対照的だと言っていた。 また、「3月は観光客が少なく、オフシーズンなので、スムーズに観光できますよ。 あと、1ケ月もすると、ポトマック川に桜が咲き始め、観光客がどっと押し寄せてきます。 私が一番好きなのは秋のワシントンDCです。 紅葉がきれいですよ」と言っていた。 

最後にスミソニアン航空宇宙博物館を見て回った。 ここは宇宙航空の歴史が見られるところで、ライト兄弟が空を飛んだ飛行機の実物やリンドバーグが初めて大西洋横断した飛行機、月面に初めて着陸したイーグル号の実物が展示されていて、見飽きなかった。 ガイドの話ではこのワシントンDCの周辺には78の美術館や博物館があり、すべて無料なので、何日いても見飽きないとのことだった。

ガイドと別れ、夕食会場で中華料理を食べ、土産のガムを買って、20km先のホテル(ウェスティン タイソンズ コーナー)に着いたのが、午後8時頃だった。 

 

3月9日

この日は5時45分にモーニングコールが鳴った。

6時30分から朝食を取って、8時前にホテルを出発した。 途中、ボルチモアのサービスセンターで休憩を取って、ペンシルベニア州フィラデルフィアに午前11時過ぎに到着。

最初の観光地のフィラデルフィア美術館に着いた。 この日も現地ガイド志保さんによる美術館の絵画の案内があった。 「昨日のガイドといい、今日のガイドといい、日本人なのに現地に住んでガイドの仕事をしているのはすごいですね!」と添乗員の柴田さんに話しかけると、「これがまた女性が多いんですよね! 男性はあまりいません。」と言っていた。

男性より女性の方が行動力があるということか。 

このフィラデルフィア美術館はあの映画「ロッキー」でシルベスタ スタローンが階段を駆け上がったことで有名になり、駆け上がって、両手を上げたところに足跡が残っていて、現地では”ロッキー・ステップ”と呼んでいるそうだ。 

ここから市内の中心部に移動した。

市内に入ると、約30年かけて建造された石造りの市庁舎を見ながら、独立記念館(世界遺産)や自由の鐘を見学し、ちょうど午後1時に独立記念館の前に来たので、ガイドが「PM1時の鐘を聞いて行きましょう。」と言ったので、鐘の音を聞いた。

近くにあるランチ会場まで徒歩で移動した。 今日のランチは1774年に開店し、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンや第三代大統領トマス・ジェファーソンも訪れ、食事をしたという「City Tavern」というアーリーアメリカンの古く、伝統的なレストランだった。ここでチキンポットパイとアップルサイダーをいただいた。 店の従業員のアーリーアメリカンな服装も印象的だった。 フィラデルフィアを後にしてニューヨークに向けて、インターステイト・ハイウェイ95号線を北上した。 午後4時頃にマリオットホテル ダウンタウンについて、徒歩でグラウンドゼロに向かった。 あの9.11の時の映像は丸の内支店時代にTV等で見てとても衝撃的だったが、こうして現地で眼下のくぼ地を見ると、本当にツインタワーがなくなったということを改めて感じさせられた。 さらに、マンハッタンの最南端のバッテリーパークまでバスで移動し、小さかったがリバティ島の”自由の女神”(世界遺産)を見学した。

バスで夕食会場のレストランまで行き、トライベッカ地区にあるホールフーズ(アマゾンが買収したスーパー)というスーパーでお土産を買った。 レストランに戻り、食事をした。 この日の夕食はサーモンの焼いたもの、スイーツのケーキが出たが、さすがに満腹で食べられなかった。 

ガイドから「ニューヨークではサマータイムが始まり、1時間早くなるので、翌日から時計を1時間早く、修正してください」とのアナウンスがあった。

この春にサマータイムに切り替わる時期、秋のサマータイムからもとに戻る時期に交通事故が多いらしい。 

 

3月10日

今日は6時30分にモーニングコール。 午前7時に朝食を取りに1Fのレストランへ。

この日のメニューはスクランブルエッグ、パン、フレンチフライのセットメニューだった。

午前8時30分にホテルを出発。 この日はニューヨーク市内観光だったが、朝からあいにくの雨。 バスでタイムズスクエア近くまで行き、下車して雨の中を散策した。 

近くに、ハーシーズのチョコレート店やユニークなデザインのM&Mのショップがあった。

午前10時からメトロポリタン美術館を現地ガイドがハイライトツアーで案内してくれ、いろんな有名な画家の絵画を鑑賞した。 12時に今日のランチ会場のウノ.シカゴ.グリルという店でピザを食べたが、厚いピザで量が多くて、半分しか食べられなかった。

その後、ニューヨーク近代美術館(MoMa)の絵を見て回った。 ここの絵は前衛的過ぎて、よくわからなかった。 MoMaの後は夕食会場にバスで移動し場所の確認をしてから、当初のスケジュールには予定になかった3時間の自由行動が待っていた。

雨で特に予定もなかったので、添乗員とセントパトリック教会に行った。 全米最大の教会とのことだった。 教会や寺院というのはとても荘厳な気持ちになれる。 ロックフェラーセンターの敷地内にスケートリンクが作られており、人々がスケートを楽しんでいた。 

この頃になると、雨はやんでいたが、寒さが一段と増した感じだった。 

日本でアウトドアメーカーのコートを買ってきて、正解だった。 ブロードウェイと48丁目の交差点近くに戻り、ハーシーズでお土産のチョコを、M&MでTシャツを買った。

タイムズスクエアで再度記念撮影。 夕食会場のハーレイズサルーンというレストランに戻り、ステーキサラダを食べたが、これもボリュームがありすぎて、完食できなかった。

食事のあと、徒歩でブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」の劇場へ。

19時30分から始まったが、疲れで最初は眠っていたが、途中から見ると俳優たちのピッタリと息の合った演技や迫力のある歌声に魅せられてしまった。

午後10時に終了し、バスでホテルへ。 ホテル到着後入浴して、ベッドに入ったのが深夜0時を回っていた。

 

3月11日

午前5時45分にモーニングコールが鳴った。 今日は帰国のための移動日である。

午前6時30分に朝食に行くために部屋を出るときに、キャリーを部屋の前に出した。

今日の朝食もセットメニューで、パンケーキ4枚。 3枚しか食べられなかった。 

午前8時にホテルを出発して、JFKへ向かった。 

午前9時30分に到着し、早速、JALカウンターで搭乗手続き、その後出国審査。

チェックが厳しく、靴まで検査を受けた。 添乗員の(S氏)に音声ガイドを返却し、免税店で買い物をし、搭乗口2番へ行った。 約1時間30分ほどして、午前11時35分から搭乗手続きが始まった。

ニューヨーク時間3月11日の午後12時25分(日本時間3月12日の午前1時25分)に

JL003便ボーイング777JFKをテイクオフした。

今日は昨日とは打って変わり、快晴で絶好のフライト日和である。 機体はアルティトュード(高度)9,800mを順調に飛行している。 

下世話な話であるが、出発日の3月7日から3月8日にかけて排便がなく、3月9日の午前中、ボルチモアのハイウェイのサービスエリアで少し出て、ニューヨークに帰り着いて、マリオット ダウンタウンの部屋で就寝前に大量に出た。 3月10日も入浴前に出て、最後は快調だった。  帰りのJL003便の中でもその勢いは止まらず、ベーリング海峡と千島列島上空で2度も爆弾を落とした。 これは「はやく北方領土を返せ」という意味を込めた照明弾である。 

アメリカは先進国でしかも4つ星ホテルだったが、ウォシュレットが付いていないのは、ベトナムやマレーシアと変わらない。 その国の文化なのか、はたまた、日本のトイレメーカーの営業努力が足りないのかはわからないが、常日頃ウォシュレットを使い慣れている日本人にとってはいささか不快である。  ぜひ、広めてほしいものである。 

そこでそんな不快な状況を改善すべく、今回の旅で気づいたことが1つある。 それは、局部を奇麗にする方法である。  試しにやってみて、局部周りが快感であった。

それはトイレットペーパーを多めに手に取り、畳んだ先端に水を少し含ませ、それで一気に局部を拭き取るのである。 これからウォシュレットのない国に赴くときもこれで解決ができる。 

JL003便も時速200kmの向かい風の中を、成田まで残り230kmのところを飛行している。 

成田には日本時間3月12日午後2時50分(ニューヨーク時間3月12日午前1時50分)に到着した。 所要時間は13間30分だった。  日本はニューヨークより13時間早い。

 

【国内】

2020年1月 沖縄3泊4日の旅

2020年1月13日

午前11時41分発の電車で羽田空港に向かう。 空港には午後1時頃到着し、出発まで

2時間50分程あった。 昼食にそばを食べ早めに搭乗手続きを済ませて、14番ゲートで搭乗を待っていた。 10分程のディレイで、JAL919便はD滑走路をテイクオフした。 

今回の機種はBoeing 777-300。 500人乗りで大きい。 この機種には国際線仕様があり、実は2019年3月にアメリ東海岸を旅した際には、Boeing 777-300ERだった。

国際線の機種はファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミーといった数種類のシートがあるため、座席が244席しか確保できないということなのだろう。

777-300は順調な飛行を続けていた。 水平飛行に入ると、キャプテンから「今、時速300kmのジェット気流が飛行機の前方から吹いています。 冬のジェット気流はとても強いため、飛行に時間がかかる。」というようなことを言っていた。

919便は午後6時過ぎに那覇空港に到着した。 飛行機を降りると、羽田とは違う生ぬるいような空気感に包まれた。

手荷物を取って、指示通りに、到着出口Bを出て横断歩道を渡り、右に曲がるとレンタカーの係員が待機していた。 名前を告げて送迎用のバスで、ABCレンタカー空港営業所に到着した。 説明を受け、レンタカー(日産ノート)を受け取り、ナビで目的地のホテルロイヤルオリオンをセットして、いざ出発。 20分ほどでホテル到着。

 

また、ラッキーな日

ホテルのロビーでチェックインをしていると、ホテルの担当者から「今晩3連泊で承っていますが、ホテル側の都合で最後の夜の1月15日だけは隣のダイワネットホテルにしていただけたら、ありがたいのですが・・・」と言われた。 「部屋が狭くなるとかの不利な条件でなければ構いません」と返答すると、「それではそのようにさせていただきます。 お礼に駐車料金2,000円の無料と今晩のホテル内のレストランでの夕食を無料にさせていただきます」と言われた。 夕食を洋食にしたら大きなステーキがメインディッシュで付いていたので、1名3,500円として、食事代7,000円+駐車代金2,000円=9,000円はお得だったと思う。 これで、羽田空港のランチ代1,650円とレンタカー会社に支払った保険料6,600円が無料になった。(ラッキー)

 

1月14日

午前6時30分起床、午前7時30分頃に地下の朝食会場に朝食を食べに下りて行った。

広い会場で、他の宿泊客がすでに朝食を取っていた。 朝食ブッフェだったが、メニューの多さに驚いた。 さっそく、生野菜やジュース、おかず等をチョイスし、席で食べた。

 

車のエンジンがかからない!

食事が終わり、一旦、部屋に戻って出発の準備を整え、地下2階に止めている日産ノートに乗り込み、出発しようとエンジンをかけたが、エンジンがかからない。 一瞬、故障かとも思ったが、いやいや、まだ、動かしていないのにそんなことはないはずと思っていると、近くでエンジン音が聞こえる今にも、出発しそうな旅行者っぽい中高年のカップルを発見。

走り寄って、「あのー、同じ日産ノートがエンジンがかからないんです。 ちょっと、見ていただくことはできますか?」と尋ねると、車まで来てもらい、「ブレーキを踏んだ状態で、スタートボタンを押すんですよ」と言われるままに、やったらエンジンが始動。

まったく、自分の車の古さと新しい車の技術に驚くばかりであった。

車トラブル(?)で、午前9時30分過ぎの出発となった。

この日は県南部を回ってみようと考えていたし、車に慣れるということもあって、短い距離のコース設定だった。 国道331号線を下っていると、「瀬長島」という看板が目に留まり、行ってみることにした。

東シナ海や飛行機が発着する那覇空港を眼下に眺められる展望台があり、とても景色の良い場所だった。  海の色もマリンブルーで奇麗だった。 

さらに、331号線を南下して、琉球ガラス村に到着、ブルーやオレンジといった鮮やかな色遣いのガラス工芸が特徴的だった。

次に、ひめゆりの塔ひめゆり平和祈念資料館、平和祈念公園を訪れた。 

太平洋戦争末期の惨状が鮮明に記録として残っており、戦争の酷さを見ると、今後の平和を願うばかりだった。

午後2時前に、遅い昼食を食べようと「茶処 真壁ちなー」というガイドブックに載っているお店を探した。 結構、道路から入り込んだ店だった。ここで沖縄そばと氷ぜんざいを食べた。 なんとも懐かしい味のそばと小豆本来の甘さのぜんざい。 美味しかった。 明治時代に建てられた民家を改装して店を開いているようで、ホッとする雰囲気を醸し出している所だったが、よくよく見ると弾丸の痕が柱に残っていて、おそらく太平洋戦争当時のものだろうと思った。 また、家も有形文化財として登録されていた。

最後に「斎場御嶽」(せーふぁうたき)という世界遺産の場所に行った。

ここは古代琉球人が神の宿る神聖な場所として崇めたところで、山の中に自然の岩で作られた三角形の奇妙な空間があった。  その後、東側を回って、ホテルに帰った。

夕食はホテル近くの「ちぬまん」という沖縄料理の店でゴーヤーチャンプルー海ぶどうジーマーミー豆腐、紅芋コロッケなどを食べた。

 

1月15日

この日も午前6時に起床して、午前7時過ぎには朝食会場に向かった。

この日は日産ノートにも慣れたので、高速道路を利用して、中部西海岸を巡ることにした。 西原JCTから高速に乗り、屋嘉ICで降りて、最初の訪問地「万座毛」に到着した。 天気は良かったが少し風があり、肌寒かった。 ここには中国からの観光客が多く来ていた。

次に「おんなの駅なかゆくい市場」に立ち寄り、「残波岬公園」に着いた。 とても広い所に白い灯台が印象的だった。  さらに、世界遺産の「座喜味城跡」を訪れた。

ここは15世紀頃に武将護佐丸により築城されたもので、高く積み上げられた城壁が特徴的だった。  この「座喜味城跡」ではとても暑かった。

昼食を取ろうと、美浜アメリカンビレッジまで行き、A&Wカーニバルパークというハンバーガーショップハンバーガーを食べた。

この日の最後に、首里城まで足を延ばした。 火災で焼けた建物が痛々しかったが、奥まで見学できた。 

 

1月16日

ダイワネットホテルでの朝食を済ませ、レンタカー会社への車の返却が出発の2時間前までにとのことだったので、午前9時にチェックアウトして、車にレンタカー会社の電話番号を入力して出発した。 途中でガソリンを満タンにして、車を返却した。

送迎用のバスで那覇空港に到着し、午前11時に早めに搭乗手続きを済ませて、25番ゲートで待機し、午後12時50分にJAL906便は那覇を飛び立った。 

帰りの便の座席付近は結構席が空いていたので中央の列に移動し、広くスペースを取って座った。

1月の沖縄は最高気温も20度以上と温暖にもかかわらず、どこも観光客が少ないため、

観光地も回りやすかった。

サングラス、帽子(つばの広いもの)が必携。

沖縄の他の観光地や世界遺産をまた1月に訪問して、見て回りたいと思った。

 

2022年7月 沖縄2泊3日の旅(海炎祭鑑賞)

2022年7月3日(日)

午前5時20分に自宅を出発し、午前5時55分発の羽田空港行きの京急リムジンバスに乗った。 2回目の沖縄だが、19年目になる海炎祭を観賞するためのツアーに参加した。

羽田空港第一ターミナルに午前6時46分に到着。

そのまま、JTB指定のJALカウンター2番で受付して、手荷物検査を済ませ、8番搭乗口付近のカード会社ラウンジでコーヒータイム。 今回は何といっても楽しみなのが、JALの機種がエアバスA350-900であることだ。 今までいろんな機種に搭乗した。

JAL機では2011年に行ったマレーシアはB767-300ER、2019年に行ったアメリ東海岸B777-300ER、2020年に行った沖縄はB777-200ER、そして帰省で利用するのはB737-800、たまにブラジルエンブラエル社のE190、JAL機ではないが、2017年に行ったベトナムハノイベトナム航空のB787

JAL907便は午前8時55分に羽田空港をテイクオフした。

今回は数日前に発生した台風4号と鉢合わせをする形で沖縄に向かった。

ところどころ機体は揺れたが、機体の大きいエアバスは安定していた。 シートが非常口席だったのが玉にきずだった。 でもそのおかげでキャビンアテンダントと向かい合って座れたので、機器の操作を教えてもらった。 那覇空港には定刻の午前11時40分に到着した。 回転台でキャリーを受け取り、バスで瀬長島のウミカジテラスに行って、ランチタイムだった。 カプリシャス食堂で「テビチー」という豚足入りの沖縄そばを食べた。 スープは魚介で取ったあっさり味だった。

その後、バスで黒糖工場を見学。 この間、断続的に雨が降っていた。 浦添市にあるパルコシティに行き、早めの夕食を済ませ、夕方、沖縄海炎祭の会場に着いたが、またもやどしゃ降りの雨。 持ってきたカッパを着て、いざ会場へ。 午後8時過ぎから花火ショーが始まった。 1万発の花火は圧巻だった。 午後9時過ぎに会場を出て、ホテル(リザンシーパーク谷茶ベイ)に着いたのは午後11時が回っていた。 入浴後、オリオンビールで疲れを癒した。 癖のないビールで二人でロング缶を2本開けた。

 

7月4日(月)   

午前6時起床。 午前7時に1階の朝食会場へ。 和食のブッフェを腹いっぱい食べた。

午前9時にホテルを出発して、名護市にある沖縄フルーツランドに行った。 もともとフルーツが食べ放題とのことだったが、コロナの影響で中止になっているのが残念だった。 その後、ちゅら海水族館に行き大きなジンベイザメを見た。 

 

けが人発生!

古宇利大橋を渡って、古宇部島に行った。 ここで、ツアー客の一人(あとで若い女性だと分かった)が転んで大けがをして、救急車で運ばれるという騒ぎが起こり、1時間近くバスの中で待たされた。 その後、座喜味城跡に行った。 

ここは2020年1月に初めてレンタカーで訪れ、城跡の頂上に上っていたので、今回は資料館を見て回った。 資料によると座喜味城は、1420年前後に護佐丸によって築かれた。 1400年頃といえば、日本は室町時代である。 ヨーロッパはポルトガル、スペインによる大航海時代が始まった頃である。 

 

えっ、部屋に入れない!

この後に、宿泊先のホテル(ダブルツリーbyヒルトン)に向かった。 ホテルに着くと、添乗員から「まだ、部屋の準備ができていないようです。」との連絡。 フロントで「何が起こっているんですか?」と聞くと、「ツアーのお客様が急に増えて、対応できていない状況です」との弁。 おいおい、そもそも旅行代理店から何人のお客が宿泊するのか把握できているはずでしょ! それに合わせて、ホテル側の人員を増やすなどしていれば良かったのではないかと思った。 結局、1時間近く待たされて、部屋に入れた。 部屋に荷物を置いて、メインプレイスというショッピングモールまでタクシーで行き、夕食を食べた。(ネギトロ御前)  モール内のスーパーサンエーでアルコールやおみやげを買って、タクシーで戻った。

 

7月5日(火)

午前6時30分にアラームが鳴った。 午前6時50分に4階の朝食会場に行くと、長蛇の列。 約50~60人は並んでいた。 4つ目のハプニングだった。(ちゅら海水族館で老人がバスに30分遅れた/古宇利島で若い女性が手を骨折/ヒルトンで部屋に入れず待たされた/朝食会場が混雑して待たされた) 少なくとも、ホテルでの出来事はホテルが外資系だということも影響しているかもしれないが、コロナにより一時的なレイオフ(人員削減)で、経済回復期の旅行需要に耐えられない状況ということか。 そうだとすれば、いかに未曽有のコロナの影響ということ。 午前8時までに朝食を済ませ、部屋に戻りJTBのアンケートを記入し、キャリーの荷物を整理して、4階のフロントでチェックアウトして、予約していたタクシーに乗り込んだ。 10分ほどでゆいレール安里駅に到着。  午前9時11分の各駅停車で那覇空港に向かった。 午前9時20分に空港に着いて、そのままJTB指定のJALカウンターに行くと、アンケートと引き換えに搭乗券を渡された。 荷物を預けて時間があったので、1階のラウンジ華に入り、時間をつぶした。

このラウンジは空港の大きさにしては手狭なラウンジだった。 出発1時間前の11時10分に検査場を通過して、12時10分発のJAL906便(エアバスA350-900)で沖縄を後にした。

 

2023年6月 北海道東部3泊4日の旅

 

2023年6月13日(火)

今日から北海道の旅の始まり。午前6時25分発の羽田空港行きの高速リムジンバスに乗った。運賃は片道1,150円。最近は帰省する際も電車ではなく、乗り換えがないこのリムジンバスを利用している。午前7時40分に羽田空港第一ターミナルに到着。今回の航空会社はスカイマーク。出発まで時間があったのでビル内を散策し、北ウイングのスカイマークのカウンターで搭乗手続き、キャリーを預けて、手荷物検査場を通った。16番ゲート付近のパワーラウンジノースに入り、ティータイム。午前9時40分頃にラウンジを出て、19番ゲートに向かった。午前11発のスカイマーク711便で羽田空港を後にした。新千歳空港には12時35分に到着。空港を出て左手に進み、一番奥の乗降所で待っているとレンタカー会社の無料シャトルバスが来て、レンタカー会社まで連れて行ってくれた。レンタカー会社(トラベルレンタカー)で手続き(免責保険料4日分の4,400円支払い)を済ませて、レンタカー(トヨタルーミー1000cc)を借りて旅の前の腹ごなしをしようと思い、とんすけ(豚丼)に行った。甘辛いタレが絡まった豚肉が美味しかったが、豚丼の店なのに店員の女性のTシャツにBEEF(牛)と文字がプリントされていたのがなぜか面白かった。ランチが終わると、車のカーナビに一日目の宿泊先のホテル大平原をセットして出発。千歳東ICから道東自動車道に乗った。道東自動車道はほとんどが片側1車線だった。山間部を通るので3000から4000mくらいの長いトンネルが多く、所々雨が降っていた。音更帯広ICで降りて、一般道路をひたすら走り、午後5時前にホテルに到着した。 チェックインして部屋に入り温泉で一汗流して、食前酒のサッポロクラシックの350mlを飲み干し、午後7時に夕食会場に行った。夕食はバイキングだった。売店サッポロクラシック500mlを1本とつまみを買い、部屋に戻り酒盛りをした。

 

2023年6月14日(水)

午前7時に朝食バイキングを食べ、午前8時30分過ぎにホテルを出発し、釧路市湿原展望台へ向かった。池田ICから道東自動車道に乗り、釧路ICで降りて一般道路を進んだ。まっすぐで長い道路、広い田園。北海道ならではの風景だった。途中でタンチョウヅルを見かけた。 午前10時頃に釧路市湿原展望台に到着した。展望台の中にある資料館を見学し、屋上からの雄大な景色を楽しんだ。

ここから1時間ほどかけて摩周湖に到着した。 この日は霧が出ていて、まさに霧の摩周湖だったが、時間とともに霧が晴れてきた。摩周湖の中に小さな島(カムイシュ島)があった。外国人観光客(韓国人)も来ていた。 摩周湖を出て、屈斜路湖に向かう途中に弟子屈ラーメン店で味噌ラーメンを食べた。 そこから20数分で屈斜路湖の南側の和琴半島の駐車場に到着した。 湖畔にはキャンプ場や露天風呂があった。 ホテルに向けて車を走らせていると突然野生の鹿が道路に現れた。約1時間かけてこの日の宿泊先のホテル御前水に到着した。

ホテルの眼下に阿寒湖が広がっていた。

 

2023年6月15日(木)

朝食バイキングを食べ、チェックイン後に阿寒湖の湖畔を散策した。ホテル御前水からオンネトーを観光し、国道241号線、国道273号線を使い1時間40分で旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群に到着した。観光客が何組か来ていた。このアーチ橋梁群は国道273号線とは糠平湖を挟んだ東側にあった。ガイドブックではこの橋梁の近くまで行けるイメージだったが、遠くに小さく見えた。

ここから国道273号線をさらに北へ進み、上川町、富良野市を経由して約2時間30分かけて白金青い池に到着した。人気の観光地のようで駐車場にはたくさんの観光バス、乗用車が止まっていた。池の中の枯れた白い立木と池の青さのコントラストが幻想的だった。 この日の宿泊先の白金観光ホテルに到着した。

 

2023年6月16日(金)

この日は旅の最終日。

ホテルの朝食を食べて、この日は美瑛、富良野を回る予定で、ホテルを午前8時30分に出発。

美瑛の観光地を回る前に、ガソリンを給油した。

約30分でセブンスターの木に到着。その後ケンとメリーの木→マイルドセブンの丘→四季彩の丘→ファーム富田と回った。ファーム富田でランチにポテトカレーを食べた。ここから国道を経由して占冠ICから道東自動車道に乗り千歳東ICで降りて、午後3時過ぎにトラベルレンタカー新千歳営業所に到着した。無料シャトルバスで新千歳空港に行き、すぐにチェックインし、荷物を預けて、3階のレストラン街で夕食にジンギスカンを食べた。その後出発まで時間があったので同じ3階のスーパーラウンジでお茶を飲んで、時間を過ごした。午後9時発のスカイマーク730便で新千歳を後にした。羽田空港には午後10時25分に到着。羽田空港第一ターミナル23時15分発船橋行きの京急リムジンバスに乗り込んだ。船橋には0時10分に到着し、0時33分発のアーバンパークラインに乗り、帰宅したのは0時40分だった。

 

2023年12月 台湾2泊3日の旅

 

2023年12月4日(月)

 

 

 

 

 

 

 

 

これからに向けた不安解消のポイント

•あなたの家計のライフプランニング(人生設計)を考えてみよう!

ライフプランニングを考えるための第一歩はあなたの家計の健康診断をしてみることです。
  具体的には
1.1ヶ月の支出が収入に見合ったものになっているのか?
2.小さな子供のいる家庭は子供の教育のために資金を準備しているか?
3.住宅ローン等の借金はリタイアまでに計画的に返せているか?
4.リタイア(定年退職)を想定して、資産は順調に形成されているか?
こういったことをチェックしてみてください。

1.については、まず、あなたの家計が1ヶ月いくらで生活できているのかを算出してみてください。  支出は大きく分けて、固定費と変動費に分かれます。  固定費は電気、ガス、水道、電話、新聞、住宅ローン代、学習塾代、習い事代などの公共料金や毎月定額の料金です。 変動費は食費、被服費、交際費等の毎月定まっていない料金です。 1ヶ月だけ見ると季節変動があるため、1年間を調べて、それを12ヶ月で割って、平均化してください。 特に固定費は毎月一定額を支払うため、見過ごしがちですが、コスト削減項目としては見直しがしやすいし、効果は大きいです。 

例えば、

●携帯料金はプランを見直すことで月額数千円単位で削減できます。また各種ポイントを携帯料金に充当することで、携帯料金を安くすることができます。我が家もいろんなポイントをDポイントへ移行し、Dポイントを携帯料金に充てて安くしています。

●自宅にWifi環境を作れば自宅で有料パケットが飛ばないため、経費を抑えることができます。 

●電気料金も最近は電力自由化の影響でいろんな会社が電気料金の安価なサービスを提供しているため、安くなります。 

●新聞は我が家でも購読していましたが、今はインターネット時代でネットで情報が取れる時代のため、解約し年間約4万円の削減ができました。

●生命保険料も当初の契約のままで、放置していませんか?                 生命保険は掛捨ての商品の方が安いですし、子供が成人したり、大学を卒業したら、子供への補償は必要なくなるため、契約口数を減らしたり、解約してください。

2.については、子供にどのような教育をさせようと考えているかを夫婦で話し合うことが最初です。  大学まで進学させるにも、公立または私立、学ばせる学科でも経済や法律または医学系で費用は大きく異なります。 現住所が大都市であれば自宅通学も可能でしょうが、地方都市なら下宿やアパートに住みながら、大学に通わせるということになります。 現在は奨学金を利用するケースもありますので、奨学金でどのくらい賄えて、残りを親が用意してあげるということになります。 もちろん、親が出せる範囲があると思いますので、子供ともよく相談してください。

3.については、住宅ローン等の借金の見直しをしていますか? 住宅ローンを当初設定した期間で返済しようとしていませんか?  

もしそうだとしたら、リタイアまでに完済できない可能性が大きいどころか、今回の新型コロナウイルスの感染拡大の影響で収入が激減し、借金そのものを払えなくなっている人も増えたようです。 人生は何が待ち受けているかわかりません。 少しずつでもよいのでお金を貯めて、繰上返済を行いましょう。 

住宅ローンを組む人のほとんどが元利均等返済でローンが設定されているため、毎月同じ支払い金額でもローン返済の初期の頃のほうが利息がたくさん含まれています。繰上返済で元金の部分を払ってしまうと、その元金に乗っかっていた利息をまるまる払わなくてよくなりますし、ローン返済期間がどんどん短くなりますので繰上返済の効果は絶大です。財形貯蓄等で100万円、200万円とある程度貯まったら、繰り上げ返済を行いましょう! 

私も27年ローンを組みましたが、何回かの繰り上げ返済を行ったことで10年でローンを完済させ、800万円以上の経費削減が実現できました。リタイアまでに借金を返済し、経済的な自由を勝ち取りましょう!

4.については、リタイア後の生活を想定して、資産をどのように形成していますか?
これには手順があります。
(1)財形貯蓄や社内積立をして、毎月と年2回のボーナスで着実に資金を貯めてください。 貯蓄する金額は年代や家庭の事情によっても異なりますが、                    大切なのは 収入-支出=貯蓄  ではなく  収入-貯蓄=支出 という考え方です。
つまり、収入から支出を引いて、残ったお金を貯蓄するという発想ではお金は貯まりません。 それは「いろんなものに使って、余ったお金を貯蓄する」という考えでは、 月々の貯蓄額は一定しないからです。  そうではなく、収入の一部を天引きさせ、支給された給料で生活すると、天引きさせたお金は無意識のうちに計画的に貯まっていきます。
(2)100万円とか200万円というようにある程度の金額が貯まったら、非課税のつみたてNISAや一般NISAを活用して、資産運用を考えましょう。  

トマ•ピケティの言葉

フランスの経済学者トマ・ピケティは著者「21世紀の資本」の中で、過去200年以上の資産や所得のデータを分析した結果、資本収益率(r)は年平均5%程度で推移し、経済成長率(g)は1〜2%の範囲に収まっていることが明らかになりました。 これをr>gという不等式で表現しました。 つまり、資本から得られる利益の方が労働によって得られる利益よりも大きい。 結果として、格差は拡大しやすい。 ここでいうrとは資本から入ってくる利潤、配当金、利息などの収入、gとは給与所得に当たります。        世の中にはお金を増やす二通りの方法があります。 一つは現役のサラリーマンなら「自分の時間」を提供して、お金を得る方法。 もう一つは「自分のお金」を使っ て、お金を増やす方法です。 これが投資です。 サラリーマンはお金を増やすために「自分の時間」しか使っていません。 このサラリーマンとしての収入の他にある程度貯まった「自分のお金」を使って、お金を増やす方法も実践した方がより大きくお金が増えていく可能性が大きいというのが私の提案です。


•住宅ローンの仕組みを知る

住宅ローン等の借金を現役の内に返済する計画を立てましょう。

住宅ローンは元利均等返済で組んでいる場合が多いと思います。

元利均等返済とは・・・元金と利息を合わせた毎月の返済額は一定ですが、当初は利息部分の割合が大きい返済方法です。

従って、利息部分の金額が大きいローン開始後の早い時期から繰上返済をしていくと、元金部分に乗っかっている利息も払わずに済むため、数百万単位で借金(利息)を圧縮できます。

私も27年間の住宅ローンを組んでマンションを購入しましたが、計画的に繰上返済したことで10年という短期間で完済ができました。

しかも10回の繰上返済により、利息や手数料を払わなく

て済んだことにより、800万円以上のコスト削減に

つながりました。

住宅ローン等の借金を現役のうちに返済する計画を立てましょう!

住宅ローンは元利均等返済で組んでいる場合が多いと思います。

元利均等返済とは・・・元金と利息を合わせた毎月の返済額は一定ですが、当初は利息部分の割合が大きい返済方法です。

従って、利息部分の金額が大きいローン開始後の早い時期から繰上返済をしていくと、元金部分に乗っかっている利息も払わずに済むため、数百万単位で借金(利息)を圧縮できます。

私も27年間の住宅ローンを組んでマンションを購入しましたが、計画的に繰上返済したことで10年という短期間で完済ができました。

しかも10回の繰上返済により、利息や手数料を払わなくて済んだことにより、800万円以上のコスト削減につながりました。

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•税金の仕組みを知る

これから日本は少子高齢化社会保障制度の維持が難しくなって来るので、税金も高くなって来るでしょう。

生活するうえで税金(所得税、住民税)にも注意が必要です。

 

会社員であれば、毎年12月の年末調整後に会社から配布される源泉徴収票を把握してください。

以下が源泉徴収票のサンプルです。

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(1)支払金額

(2)給与所得控除後の金額

(3)所得控除の額の合計

(4)源泉徴収税額

それぞれの項目を次ページで詳しく

説明していきます。

 

源泉徴収票で何がわかるか】

(1)支払金額・・毎年1月1日から12月31日までに支払われた給与、賞与の額面の合計額(振込金額ではありません)

(2)給与所得控除後の金額・・所得税の計算上、(1)の支払金額から一定額を控除することができます。  あらかじめ決められた以下の計算式を使います。

f:id:nzdlTQ2pHqs9xKd:20211112083412p:plain

  前ページの例で計算すると・・・

7,000,000円(支払金額)-((7,000,000円×10%)+1,200,000円)=

7,000,000円-1,900,000円=5,100,000円

(3)所得控除の額の合計

  給与から控除できる所得控除には大きく分けて以下の2つがあります。

社会保険料控除、生命保険料控除

社会保険料控除とは・・1年間に給与から天引きされた健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、雇用保険料の4つの合計

・生命保険料控除とは・・一定の生命保険や個人年金保険の保険料を支払った場合に控除されます。  地震保険料も年間5万円を上限に支払額が所得控除の対象になります。 

基礎控除配偶者控除、扶養控除

基礎控除として誰でも必ず38万円の所得控除が受けられます。

配偶者控除・・配偶者の年収が103万円以下であれば38万円の所得控除が受けられます。

・扶養控除・・納税者と生計を一にし、年収が103万円以下の16歳以上の親族が所得控除が受けられます。(16歳以上なら63万円、23歳以上なら38万円)

(4)源泉徴収税額

 年間の給与や所得控除を集計した上で最終的に計算された所得税です。

以下の計算式を使います。  

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 15ページの例では 510万円(給与所得控除後の金額)-130万円(所得控除の額の合計)=380万円    (380万円×20.42%)-436,478円=339,482円が年間の所得税額になります。  但し、住宅ローンを組んでいる場合は住宅借入金等特別控除額としてこの金額から控除することができます。

 

【特別徴収税額の決定通知書で何がわかるか】

  ここからは個人住民税の話になります。 毎年5月頃、自分の住んでいる自治体から会社経由で 「給与所得等に係る市民税・県民税 特別徴収税額の決定通知書」が届きます。

 (1)個人住民税も給与所得控除後の金額の計算方法は所得税と同じです。

  15ページの例で計算すると・・・

   7,000,000円(支払金額)-((7,000,000円×10%)+1,200,000円)=

        7,000,000円-1,900,000円=5,100,000円

 (2)所得控除の額の合計

   個人住民税も給与から控除できる所得控除には大きく分けて以下の2つがあります。

社会保険料控除、生命保険料控除

社会保険料控除・・社会保険料控除額は所得税と同じ1年間に給与から天引きされた健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、雇用保険料の合計で所得税の計算で使った金額と同じです。

・生命保険料控除・・一定の生命保険や個人年金保険の保険料を支払った場合に控除されますが、控除額が異なります。  

ここで個人住民税の決定方法についての説明です。

基礎控除配偶者控除、扶養控除

   個人住民税は所得控除の額が異なります。

 ・基礎控除として誰でも必ず33万円の所得控除が受けられます。

配偶者控除・・配偶者の年収が103万円以下であれば33万円の所得控除が受けられます。

・扶養控除・・納税者と生計を一にし、年収が103万円以下の16歳以上の親族が所得控除が受けられます。(16歳以上なら45万円、23歳以上なら33万円)

(3)特別徴収税額の算出

   個人住民税は以下の計算式で求められます。

        前年の所得金額(給与所得控除後の金額-所得控除の額の合計)×10%=特別

   徴収税額

 

ふるさと納税の話し

ここで個人住民税は前年の所得金額に対して課税されると言いましたが、個人住民税を年々軽くする方法の説明です。 軽くすると言っても脱税する話ではありません。(笑)

個人住民税は前年の所得金額や所得控除を集計した上で最終的に計算された金額が今年度の6月分から反映しますが、前年にふるさと納税をして、今年に確定申告するとふるさと納税した2,000円を超えた金額が所得税や今年の個人住民税の特別徴収税額から控除されるので、個人住民税が軽くなります。

ふるさと納税は本来、その年の1月1日現在で住所がある自治体に支払う個人住民

    税を他の自治体に寄付することでその税金を有効に活用してもらう制度

※自分の年収に対して、いくらの金額までがふるさと納税として有効かがわかるツー

    ルが以下のふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」のHPにあります。

  ふるさと納税試算プログラム

  https://www.furusato-tax.jp/example.html#example02

 

公的年金の受給額を知る

 まず、以下の厚生労働省が公表している公的年金の支給開始年齢であなたの支給開始時

 期を確認してください。

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最新の年金定期便でもらえる年金額を把握しましょう。(自分と妻の両方)

会社員の場合は公的年金には国民年金と厚生年金の2つがあります。

1.国民年金

 20歳以上60歳のすべての国民は加入が義務づけられている公的年金 

  です。 40年間は加入でき、加入期間が10年以上であれば65歳から

  支給されます。

2.厚生年金

 会社員、公務員が対象で、国民年金と併せて、給料から天引きされて

  います。 加入期間が1ケ月以上あれば、65歳から支給されます。

平成29年度の標準的な夫婦2人が受け取れる年金額は、平均で 月22万円です。

例えば夫婦で30年生きたとして、公的年金の支給金額は・・・

22万円×12ケ月×30年=7,920万円

公的年金の30年間の合計-1ケ月の生活費の30年間の合計=0円に近づけば老後の生活費は準備できたことになります。

さきほどの7ページの1ケ月の生活費の30年間の合計が1億800万円(※月額30万円×12ヶ月×30年で試算)なので、

7,920万円-1億800万円=▲2,880万円の不足です。

この不足する2,880万円を自分で用意すればよいのです。

会社員であれば、退職金制度がある人は退職金や企業年金がどのくらいもらえるのかを把握してください。 その他に財形貯蓄制度や社内積立制度、さらには確定拠出型年金制度(DC年金)、個人型確定拠出年金(iDeCo)を上手く活用して、積立て行ってください。

 また、個人年金、NISA(少額貯蓄非課税制度)、つみたてNISAによる株式投資投資信託を利用する方法もあります。 例えば、退職金が1,500万円もらえるとすると、残りが1,380万円。 65歳の定年退職まで10年ある人は120ケ月なので・・・

1,380万円÷120ケ月=11.5万円を積み立てれば目標額を達成します。

ただ、これを年6%で複利運用すると月8.7万円を積み立てればほぼ達成できます。

資産形成をするにあたっては、この複利運用ということを意識してください。

定年までの年数が15年、20年とある人は毎月の積立額はもっと少なくて済みますので、なるべく早く積立を始めてください。

資産運用は後のページで説明します。

 

老後の支出費目を把握することも大切です。

基本は各費目の支出をできるだけ抑え、毎月の生活費の予算内で生活することが前提です。  また、住宅ローンや教育費が終わっていることも重要です。

固定費・・・

  電気料金、ガス料金、水道料金、通信料金、NHK受信料金、駐車場料金、保険 

  料金、健康保険料等の費目がありますが、

  特に通信料金(携帯電話料金)は家計を圧迫していることが知られています。 

  極力、格安スマホに変更することをお薦めます。  

  また、生命保険料、医療保険料は現役時代ボーナス払いで払っている人も多い

    と思いますが、リタイアしたらボーナスはなくなるので月々の生活費で払えるよう

  に毎月払いにしましょう。

  このように、支出の大部分を毎月の生活費の予算内でまかなえれば資産を大き

  く減らすことがなくなります。


•個人はこれからどう生きていくか

いまの日本では、生きていくことに不安を覚えることが多い時代です。 その理由は先ほども言ったように、高齢化と少子化に起因した急激な人口減少とそれに伴う社会保障制度の 維持への不安から来ているのです。 これから5年後の2025年には「現役世代(20~64歳)の1.8人が65歳以上の年金受給者1人を支える」ようになります。 将来への不安を払拭していくためには個人レベルで対策を講じていく必要があります。
  具体的には将来のお金の不安を減らすことです。 将日来が不安だからお金を貯金しようと思っても、現在の日本では定期預金の利息がが0.002%と貯蓄してお金を増やすことなどとてもできない状況です。 お金のことを考える上で、とても重要な公式があります。

資産形成 = (収入 - 支出) + (資産 × 運用利回り) 

左側がキャッシュフローで、右側が資産運用に該当します。 資産を形成するには現役のサラリーマンであれば、左側の給与収入から支出を差し引いた余剰分を右側の資産に組み 入れ、利回りで増やしていくことが大事です。ここにも一工夫あって、給与収入から投資するお金を先に差し引き、残ったお金で生活するようにしましょう。 こうすれば、投資 するお金は最初からなかったものとして見ることができます。

また、資産運用に関しても、とても重要な公式があります。

  資産運用 = 投資資金の増加 × 利回り × 運用期間

投資で資産を増やすには①投資資金を増やし、②利回りを高め、③運用期間を長く取ることです。
例えば、これを積立投資に当てはめると、②は個人ではどうにもならないが、2020年3月のコロナショックのようにNYダウ、S&P500や日経平均のような株式指数が直近の高値から30%以上下がったら、毎月の投資金額を3倍にし、直近高値から15%程度下がっている状態に戻ったら、元の投資金額に戻す30%ルールを実行する。 こうすることで、投資資金が通常の3倍になることで口数が増え、株価が上がってきた段階で、利回りも上がります。

現代の資本主義は行き過ぎていると言われますが、長期投資家である奥野 一成さんの著書でも従来のように収入を労働だけで得ている人を"労働者1.0"と呼んでおり、これから はその労働自体がAIに奪われるかもしれない時代においては、労働者1.0ではいけないと言っています。
  富の食物連鎖の頂点にはGAFAMのようなアメリカの資本家がいるわけですから、あなたもアメリカのグローバル企業の株主になる、つまり、労働者であると同時に資本家になることを目指しましょう。【参考】2020年5月時点でGAFAM5社の時価総額の合計(560兆円)が日本の東証一部上場2,150社の時価総額の合計(550兆円)を上回っており、GAFAMがいかに巨大かがわかります。
こういう発想に気づき、実践した人は将来救われると思います。
  日本人に決定的に欠けていて、問題なのはファイナンシャル・リテラシー(お金の知識)を勉強して来なかったために、その能力が著しく低いことですから・・・。


•リスクを取らないことの方がリスク→インフレに弱い預金だけの家計

将来が不安だから貯金しようと思っても、現在の日本では定期預金の利息が0.002%と貯蓄してお金を増やすことなどとてもできない状況です。

さらに物価が上がってきたことで、お金の価値が下がり、現金だけ持っていると資産が目減りしていきます。

 

・新NISAについて

2024年1月から新NISAが始まりますが、今までのNISAと比較して説明します。

【一般NISA】

一般NISAは2014年1月から開始された年間の利用限度額が120万円までの非課税制度です。

対象商品は株式投資信託(積立も可能)のほかに、国内外の上場株式、国内外のETF、国内外のリートなどに投資できます。また株式からの配当金、投資信託からの分配金も非課税になります。

非課税期間は5年間ですが、非課税期間が終了するときに①非課税期間中に売却する。②特定口座(課税口座)に移管し、運用を続ける。③非課税期間を継続したい場合にはロールオーバーの手続きを取れば、さらに5年間非課税で運用できます。合計の非課税限度額は120万円×5年=600万円です。

【積立NISA】

積立NISAは2018年1月から始まった年間の利用限度額が40万円までの非課税制度です。

対象商品は金融庁に届出された投資信託に投資できます。毎月33,300円を積立て行きます。

非課税期間は20年です。合計の非課税限度額は40万円×20年=800万円です。

 

【新NISA】

新NISAの特徴

①非課税限度額が大幅に増える

2024年1月から始まる年間の利用限度額が360万円までの非課税制度です。

新NISAの生涯の非課税限度額は1800万円です。

新NISAはつみたて投資枠と成長投資枠に分けられていますが、今までのNISAは積立NISAか一般NISAかのどちらかを選ばなければなりませんでしたが、新NISAのつみたて投資枠と成長投資枠は併用できます。成長投資枠は国内外の上場株式、国内外のETF、国内外のリートなどに投資するものになっていますが、投資信託の積立もできますのでつみたて投資枠と合わせて投資信託を積立ていけます。

②制度が恒久化され、非課税期間が無期限に

非課税期間も今までのNISAと異なり、無期限となりますので、期限を気にせず長期投資が可能になります。

③売却した場合は枠が復活する

投資した金額(簿価)で管理されますので、将来お金が必要になった時に、一部売却しても翌年には売却した金額(簿価)の枠が復活して、再投資できます。

 

•具体的な資産形成方法

具体的にはアメリカの株式市場の代表的なインデックスにS&P500があります。 これはアメリカの大企業500社のインデックス(株式指数)です。 以下は1982年11月から2021年4月までの38年6ヶ月間の日経平均とのパフォーマンスの推移の比較です。 1982年11月末を100として指数化していますが、日経平均がこの間3.64倍に対して、S&P500は30.18倍に伸びていて、その差は8.29倍とその差は圧倒的です。

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あなたはこのS&P500と連動する米国株ETF(Exchange Traded Fund)や日本で販売されている手数料の安いインデックス・ファンド(投資信託)を20年、30年という長い期間で貯金をするつもりで毎月一定額を購入し続ければいいのです。 さらに、投資資金に余裕のある人はアメリカの新興市場(NASDAQ)の代表的なインデックスにNASDAQ100があります。 これはGAFAMやテスラ、Netflixといった今やアメリカ経済を牽引している巨大IT企業を多く含んでいます。 このNASDAQ100と連動する米国株ETF(Exchange Traded Fund)や日本で販売されているインデックス・ファンド(投資信託)を毎月一定額購入してください。  1973年から2018年までの45年間の長期的なS&P500の利回りは年平均で7.1%でした。 今後も同じ程度の利回りが期待できるかはわかりませんが、仮に7.1%の利回りだとするならば、22歳の新入社員が60歳の定年までの38年間に毎月25,000円を継続して買い続けていけば、投資元金は1,140万円ですが、59歳の12月で評価額は5,680万円にもなるのです。 投資元金の5倍です。 複利の力は恐ろしいものです。
老後の資産を作るのが目的ならば、株は売らずに、一度買ったら持ち続けることです。
  長期投資のポイントは長期、積立、分散です。 分散ということでもS&P500はいろんな業種の500社に分散されていて、しかも定期的に採用企業は見直しがなされますので、合理 的です。
また、景気には停滞、拡大、好況、後退というサイクルがあります。 そのサイクルのフェーズごとに保有する資産を変化させるというのも重要な考え方です。
例えば、①停滞から回復する局面では株式を買う、②好況期に株価が相当高くなり、金利が上がり出したら、株式を売って、現金に換える(債権の金利が上がり始めることで、株式のような資産を売って、債権を買うというリスクオフの動きが出るため)、③景気が減速し金利が下がり出したら、債権を買う(国は景気減速になると金利を下げる金融緩和の政策を実施する)、④景気が底に向かいだしたら、再び株式を買う。
ここで、運用の具体例をお話しします。 2020年2月19日に最高値の3,386.15ポイントを付けた米国株S&P500は新型コロナウイルス感染拡大の影響で約1ヶ月後の3月23日の終値ベースで2,237.40ポイント(-33.9%)まで大暴落しました。 しかし、9ヶ月後の12月31日には終値ベースで3,756.07ポイント(+67.8%)と大暴落から1.6倍以上戻し、しかも史上最高値を更新しました。 ここで得られる教訓は、恐怖を感じて損切りせずにずっと保有していた人は利益の果実を得ることができた訳です。
  ただ、長期間、株を持ち続ける大前提があります。 それは経済全体が右肩上がりで成長していくことが重要です。 つまり、魚がいるところで釣りをするということ。 まさにこの前提に投資先としてのアメリカは的を得ているのです。
アメリカの三大投資家の一人のジム・ロジャースも「日本への警告」の中で、「日本国内にほとんどの資金を保有している日本人は、早急に資金を海外に移すことを考えた方が良い。 なぜならば、日本政府が今後も紙幣を刷り続けるならば、日本円の価値は相対的に落ちるためだ。 日本人は財政破綻した旧ソ連による年金が急速なインフレに伴い、ほとんどの価値を失ったことを思い出すべきだ。」と言っています。


•一定期間後に目標の資産を得るための積立額の算定方法

・手持ちの資金のどのくらいを投資資金に振り分ければ良いか?

ステップ1:何歳までにいくら老後資金を準備するかの目標を設定する。

       (例:現在30歳で60歳までに老後資金4,000万円を準備したい)

ステップ2:目標が決まったら、投資に回せるお金がいくら必要かを把握す

       る。

  • 今持っている金融資産を日常生活に必要なお金
  • 近い将来に使う予定が決まっているお金
  • 当分使う予定のないお金

の3つに分類する。

金融資産
65歳から30年間に支給される公的年金 22万円×12×30年=7,920万円
定年退職時に支給される退職金 1,500万円
その他の預貯金、個人年金、保険金 2,000万円
合  計 1億1,420万円・・・①

日常生活に必要なお金
65歳から20年間の生活費      30万円×12×20年=7,200万円・・・②

近い将来に使う予定が決まっているお金                        2,000万円・・・③
当分使う予定のないお金                    ①-②-③=2,220万円・・・④

 

ステップ3 30年後の60歳までに4,000万円を準備するために、減債基金係数0.011使っ て、毎月いくら積み立てれば良いかを計算する。(年利平均回り7%を想定)

4,000万円×0.009=44万円
44万円÷12=36,666円


eMAXIS Slim 米国株式(S&P500) とiFree NEXT NASDAQ100 インデックスに毎月18,333円ずつ積立をする。
        (18,333円×2商品)×12ヶ月=44万円 1年で44万円を投資する。
       44万円×30年=1,320万円  30年で1,320万円を投資する。
ただし、現役世代は毎月の給与があるため、給与から36,666円を拠出すればよい。

30年間で1,320万円を使い、年平均利回り7%で複利運用すると、30年後の60歳には4,000万円となる。
(※上記の減債基金係数0.011はカシオの減債基金係数-高精度計算サイト https://keisan.casio.jp>exec>system で算出できる。)


•積み立てた資産の効率的な取り崩し方法

金融資産は一度に解約してはいけません。

なぜなら、解約した後の価格上昇分の含み益を得られないからです。

そのためにはどうするか!

例えば、老後の年間の必要生活費が400万円(月額33.3万円)で、100万円が不足する場合

65歳時点の金融資産の残高が4,000万円あったとすると、年末に2.5%に当たる100万円だけを一部解約して、引き出します。

翌年の66歳の残高は4,000万円-100万円=3,900万円になりますが、

金融資産の年平均利回りが7%だとすると、年末の残高は3,900万円×1.07=4,173万円となります。

この年末に、4,173万円の2.5%を引き出すと、104.3万円となり、残高は

4,068.7万円となり、それでも資産は減らないことになります。

※100万円の定額ではなく、年末の資産の定率の2.5%を引き出していくと、資産の目減りが遅くなる。

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•投資の勉強方法

投資のための情報はインターネット上に星の数ほどありますが、私も活用している有益な情報を紹介します。

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