渡り鳥の日記

2019年に定年退職して米国株をメインにした投資活動とFPのスキルを活かして、ライフプランニングと長期投資の魅力を伝えています!

これまでの旅の記録

【海外】

1980年8月 アメリカ合衆国 37日間の旅

大学2年生の夏、格安航空券というものがあることがわかり、西新宿の秀インターナショナルサービス(現HIS)で成田→(大韓航空)→ロス→(アメリカン航空)→シカゴの格安航空券、30日間のグレイハウンドバス周遊券を25万円で購入。都市銀行でトーマス•クックのトラベラーズチェックを25万円分購入。(1ドル250円)      

8月11日                   

成田発の大韓航空ボーイング747)でアメリカへ向かった。 途中、ホノルル空港で給油して、ロスアンゼルス空港(LAX)には午後8時頃到着した。 LAXで国内線(アメリカン航空)への乗り継ぎ時間が4時間ほどあり、シカゴ行きの深夜便がテイクオフしたのは深夜0時過ぎだった。 シカゴのオヘア空港に到着したのは午前4時過ぎだった。 シカゴのYMCAに2泊(1泊13.6ドル)した。 YMCAは食事なし、シャワー共同で大変リーズナブルな料金で宿泊できる。 滞在中にシャワーを利用したが、隣に190cmオーバーの黒人がいて、お尻を触られたときはゾッとした。 また、エレベーターで二人組の黒人が「この電卓は性能が良くて安いので、買ってくれ」と言うので、見たらカシオのマーク。 「いらない」と言ったが、付いてくるので部屋まで来られないようになんとか断った。 シカゴではフィールド自然史博物館、レイクミシガン、シカゴで一番高いシアーズタワーを観光した。                

8月15日                    東海岸へ向け、出発!             シカゴのバスディーポから東海岸に向かうためのグレイハウンドバスを利用した旅が始まった。まず、シカゴからデトロイト、ナイアガラ、バッファローを目指した。 ナイアガラで途中下車して、ナイアガラの滝を観光した。 滝の水量と水が落差50m下に落ちる水煙に圧倒された。

8月17日

3日かけてボストンに到着した。 ボストンはアメリカでもっとも歴史の古い街の一つで、街を歩いても古いたたずまいを感じさせてくれる場所があり、心地よいところで、とても気にいった。 ボストンでもボストンYMCAに3泊した。(20.5ドル×3=61.5ドル) ボストンコモン公園、チャールズリバー、MIT、州議事堂、ビーコンヒルを観光した。

                     

8月20日                 

いざ、ニューヨークへ!           ボストンを午前中に立って、約4時間半かけてニューヨークに到着した。 マンハッタンはウォール街に世界最大の証券取引所があるアメリカ経済の中心地、また、ブロードウェイのミュージカルに代表されるショービジネスの中心地でもあり、とてもエキサイティングな街である。 さっそく、バンダービルトYMCAにチェックインした。(18ドル×3泊=54ドル) エンパイアステートビルの86階の展望台からは眼下に貿易センターのツインビルやハドソン川が望め、眺めは圧巻だった。 国連ビル、リバティ島自由の女神を観光した。 また、ゴードンさん経営のJAZZのライブハウスであるVillage Vanguardでビールを飲みながら、ウッディショークインテットのライブを堪能した。

                     

8月23日 

ニューヨークからワシントンDCに到着。 ワシントンDCではB&B(Bed and Breakfast)を利用した。 ホワイトハウス周辺を観光した。 

8月24日 

南部へ                  

ワシントンDCを後にして、夜行バスを利用して、南部を目指すことにした。 夜行バスを利用すると、宿泊代が浮くため、とてもリーズナブル。 ただし夜行バスが続くと、さすがに疲労感が残った。 アトランタニューオリンズサンアントニオを目指した。 ニューオリンズではフレンチクォーターで、メキシコ湾で採れたオイスターをレモン汁をかけて、トマトケチャップで食べたが、実が大きく、美味しかった。  サンアントニオでは1983年のアラモの戦いで有名なアラモ砦を見学した。 

8月28日

4日かけてエルパソに到着

夜行バスで連続して移動し、疲労がたまっていたので、エルパソで一泊した。 エルパソ市内のレンジャーピークを観光した。 そこで、インドネシア出身のディー・ドシという若者と知り合って、ホテルの部屋でビールを飲みながらの国際親善だった。 

8月29日

グランドキャニオンへ

エルパソからツーソン、フェニックス経由でグランドキャニオンに入った。 バスが停車して、グランドキャニオンの180度のパノラマを見た瞬間、そのスケールの大きさに息を飲んだ。 遠くに小型飛行機がハエくらいの大きさで飛んでいるのが見えた。 グランドキャニオンではロッジに宿泊したが、真夏なのに部屋の中も寒かった。 

9月1日

ようやく西海岸へ到着

東海岸のボストンから12日かけて西海岸のロスアンゼルスに到着した。 旅を始めて20日経過していたが、その間日本食を食べていなかった。 ロスにはリトル・トーキョーという日本人街があることは調べていたので、レストランに入り、トンカツ定食を注文した。 米はカリフォルニア米で水分の少ない米だったが、久しぶりに食べる米は美味しかった。 ロスは宿泊せずに、南下してサンディエゴへ向かった。 中学生の時にラジオからアルバートハモンドの歌う「カリフォルニアの青い空」が流れていたが、カリフォルニアの空はやはりどこまでも青かった。 サンディエゴで一泊して、市内のシーワルドを見学した。

9月2日

サンディエゴからロスに戻り、ロスでホテルクラークに一泊(26.88ドル)して、ラスベガスへ向かった。

9月3日

ロスから砂漠を走り、遠くに一大ネオン地帯が見えたかと思ったら、そこがラスベガスだった。 フレモントストリートのバジェットインというドライブインに宿を決めた。 ラスベガスはメインストリートのラスベガスブルバードの方が高級で華やかな雰囲気がある一方で、宿のあるフレモントストリートの方は庶民的な感じだった。 カジノで少し遊んだ。

9月5日

思い出のサンフランシスコ

9月5日にラスベガスを後にして、リノ経由でサンフランシスコに入った。 宿泊先はユニオン•スクウェア近くのホテル•ストラットフォードにという安宿にした。 当初、3泊の予定だったが、ホテルで知り合った青山学院大の斎藤さんや北陸出身の女性2名と知り合いになり、行動を共にするうちにもっと滞在したいという気持ちになり、結局8泊した。(1泊21.8ドル×8=174.4ドル)  この滞在期間中にフィッシャーマンズ•ワーフ、ロシアンヒル、コイトタワー、ピア39、ロンバードストリートヒルを観光した。 

サンフランシスコは坂の多い街で、ケーブルカーが縦横に走っているため、どこに行くにも便利だった。 BALCLUTHAという船でサンフランシスコ湾をクルージングした。 また、BARTという地下鉄でUCバークレーに行った。 アメリカの大学のキャンパスは広大だった。 ある朝ピア39に行ったら、日本テレビの「アメリカ横断ウルトラクイズ」のロケ現場に出くわした時はビックリだった。 記念に司会の福留アナと写真を撮った。 斎藤さんからサンフランシスコの西側の太平洋に面した岩壁にクリフ•ハウスというレストランがあるので、行ってみようとの提案があった。 風が強く、肌寒い場所にあるクリフ•ハウスではアイリッシュ•コーヒーを飲んで身体を温めた。 夕食は中華料理を食べに、よくチャイナタウンに行った。 日本で購入した格安航空券は帰りの航空券は発券されておらず、バウチャーという引換券が渡され、自分で帰りの便を予約しなければならなかったため、サンフランシスコの大韓航空のオフィスに行って予約を入れようとしたが、「ロス→ホノルルは予約できるが、ホノルル→成田は予約が取れない」と言われた。 成田までは飛べないと言われても、とりあえず、前に進むしかないと思った。

9月14日

9月13日夜にサンフランシスコを後にして、11時間かけて、早朝ロスに到着。 すぐ、大韓航空のカウンターでチェックインして、午前9時30分のホノルル行きの便に乗った。 ホノルルには午後3時30分に到着。 そのまま、ホノルルYMCAにチェックイン。 所持金が残り少なくなっていたため出費を抑えようと思い、食事はアラモアナ•ショッピングセンターのパン屋でパンと牛乳を買って、部屋で食べた。 せっかく、ホノルルに滞在しているのに観光できないなんてちょっとショックだった。 ホノルル⇒成田の予約を入れるためにはキャンセル待ちしかないと言われていたので、翌日の9月15日に空港に行ってキャンセル待ちしたが、結局、乗れなかった。 何日も飛行機の予約が取れないことを考えて、観光もしなかった。 

 

9月16日

この日も朝からキャンセル待ちしようと思い、空港に向かった。 空港でキャンセル待ちしていると、「成田行きに乗れますよ!」とのアナウンスがあり、一安心した。 KAL001便は午後1時にホノルルを後にして、成田に向けて出発した。 37日間のアメリカ旅行だったが、アメリカの雄大さと豊かさを実感できた旅だった。 20歳代で行けたことで、視野が広がり、その後の人生において何ものにも替えがたいものとなり、ますますアメリカに魅せられることとなった。

 

1987年5月 ハワイ 5泊7日の旅

5月17日に結婚式を挙げて、翌日に宮崎空港から福岡空港経由で夜の便でハワイのホノルルに向けて、飛び立った。 航空会社はハワイアン航空のチャーター便だった。

 

ハワイ時間5月17日

ホノルル国際空港には8時間後の朝に到着した。 到着後、団体でダイヤモンドヘッドなどの市内観光をして宿泊先のアイランド・コロニーに送ってもらい、チェックインして周囲を散策したが、常夏の島らしく気温は30℃近かったが、日本のように湿度が高くないため、過ごしやすかった。

アイランド・コロニーは長期滞在者向けの宿泊施設で、部屋にキッチンが完備されていたが、ワイキキビーチの近くのアウトリガーホテルのレストランでシーフード料理を食べた。 自分はマヒマヒ(日本ではシイラ)、妻はオレンジラフのグリルだった。 両方とも白身魚でとても美味しかった。

 

ハワイ時間5月18日

この日はワイキキビーチに行って日光浴。 黒人の男性がビーチでビーチで日光浴をしていたのは驚きだった。 ランチはバーガーキングでワッパーを食べた。 午後は旅行のみやげを買いにABCストアーに行った。

 

ハワイ時間5月19日

この日はオプショナル・ツアーで日帰りのハワイ島観光だった。 ホノルル空港からハワイ島のコナ空港まで飛んだ。 50分で到着し、観光バスに乗ってキラウエア火山の麓まで行った。 ドロドロした溶岩が流れ出しているのかと思ったら、キラウエア火山は粘度が強いため、進みが遅かった。 溶岩の近くまで行くと、熱さが伝わってきた。

ホノルルには夕方到着し、クルーズ船に乗って、船上ポリネシアンショーを見ながら、ディナーを食べた。

 

ハワイ時間5月20日

何も予定が入っていないフリーの日で、昼前からホテルのプールで泳いだ。     午後からバスに乗って、アラモアナショッピングセンターに行き、友人にプレゼントするTシャツを買った。 用意していたドルが不足してきたので、日本円をドルに両替した。

 

ハワイ時間5月21日

帰国の日。 昼前にホテルをチェックアウトして、空港に向かった。 空港でみやげを買って、出国手続きを済ませ、出発ロビーで待った。 現地時間午後3時の飛行機でホノルルを後にして、福岡空港に向かった。 

 

日本時間5月22日

飛行機は午前10時に福岡空港に到着した。

 

 

2011年6月 マレーシア 5泊6日の旅

2011年6月17日(金)

いよいよ旅の始まり。

午前7時15分の京成船橋駅から成田エアポート行きの電車に乗った。             結婚24年目で今回が2度目の旅。 1度目はハワイへのハネムーンだった。 随分、歳月が流れたものだ。  午前8時7分に成田空港第2ターミナルビルに到着。 総合カウンターで受付し、自動チェックイン機でチェックイン。 2日前にJALのHPでWEBチェックインし、座席も指定していたので、手続きはスムーズだった。(WEBチェックインは出発の72時間前から可能)   軽いbreakfastを済ませ、再び総合カウンターに戻り、出発の説明を受けた。 KLIA(クアラルンプール国際空港)では国内線への乗換で90%の人が順路を間違えると言っていた。 その後、出国手続きを済ませ、45分遅れの正午ちょうどにJAL723便(B767-300)は日本を飛び立った。

所要時間6時間40分でKLIAに到着した。

(現地時間午後5時40分)   入国審査を済ませ、国際線ターミナルからエアロトレインで国内線ターミナルへ。

18時20分の国内線の乗り換えまで時間があったので、スマホを海外で利用できる設定にした。  マレーシア航空MH1164便は定刻どおりにKLIAをtake off。 50分でpenang airportに到着した。 現地ガイドの孫(スン)さんが出迎えてくれた。

移動中のバスの中でガイドの孫さんが日本円をマレーシアの通貨リンギット(RM)に両替してくれるというので、2万円を688RMに両替してもらった。(1RM=29円)

宿泊先のCiti Tel Penangにチェックインし、Red Courtという屋台に行き、夕食を取った。 いろんなお店が並んでいて、客も多かった。 我々は福建めんを注文し、瓶のカールスバーグビールを飲んだ。(福建麺1杯4RM、カールスバーグビール1本13RM)

 

ペナン島観光

6月18日(土)

午前9時にホテルを出て、トライショーで世界遺産ジョージタウンを回った。

インド人街もあった。 スリマハマリアマン寺院、カピタンクリンモスク、クーコンシー、コーンウォーリス、セントジョージ教会を観光した。

その後、インド料理の店でランチした。 午後12時30分現在、気温は33度。

ランチの後、ペナン大橋を渡り、ブキットメラのレイクタウンにあるオラウータンの保護島へ。  島へはフェリーで20分。  ここから3時間かけてキャメロンハイランドへ向かった。 到着後、夕食はスチームボート。 “蒸気船”という意味だが、これは鶏ガラスープ、野菜、シーフードたっぷりでとてもtaste good!  旅行者の皆さんに好評だった。

夕食後、今夜の宿泊場所のHeritage Hotelへ。 英国風のたたずまい。 部屋も古びていたが、広かった。 標高が1,800mと高いこともあり、とても寒かった。

 

Bohteaでティータイム

6月19日(日)

ホテルで午前7時過ぎに朝食を取り、午前8時30分に出発。

キャメロンハイランドのBohtea(紅茶)の工場に向かった。 山間の見渡す限りの茶畑。

茶摘みは1年間に何回もやっていて、1つの木で150年も持つそうだ。  この茶摘みにバングラディシュから労働者を集め、1kgの茶葉に対して40セン(10円)の料金を払っているらしい。  

Bohteaの工場を見学して、紅茶を試飲した。 そのあと、はちみつ、バラ園を見学。 Heritage Hotel近くに戻り、昼食をとった。

今日のランチはきし麺。 スープは鶏スープ、それにモヤシと蒸した鳥を麺の上に乗せて食べた。  あっさりとしていて美味しかった。 これもマレー料理だそうだ。

マレーシアはそれにしても鳥をよく食べるようだ。 宗教も影響しているのだろう。(イスラム教は豚が、ヒンズー教は牛がダメ)

今回の我々の24年ぶりの旅のガイドを務めてくれているのは現地の42歳の孫(呼び方はソンさんではなくスンさん)さん。 なんでも、彼の祖父が中国の福建省から移り住んできた人のようだ。 とにかくよくしゃべる、明るい人だ。 この旅の中で、いろんな話をした。

例えば、マレーシア人も旅をする時よほど前から旅が決まっていれば、LCCを利用するが、通常はマレーシア航空を利用するようだ。 理由はマレーシア航空だとトランジットする時に遅れても、乗り継ぎの補償をしてくれるが、LCCだと待ってくれない。

マレーシアでは車検がない。 マレーシアのハイウエイは速度制限が時速110km。 警察とは交渉次第で、車や麻薬の犯罪もお金次第。 年金は55歳からもらえる。 マレーシア人の平均寿命は70歳くらい。 

バスはキャメロンハイランドから下って高速道路を南へ。

スンカイという町に入った。 行先は足湯。 小川のように作られている足湯に膝下くらいまで入れるととても気持ちよく、足を引き上げるとホッとした気分になった。

一般道路の両サイドに油ヤシ園が見える。 年3回収穫するんだと言っていた。

昔はゴム園が多かったが、ゴムは今は儲からないとのこと。

油ヤシから取れるパーム油(石鹸や洗剤の原料)の方が儲かるようだ。

 

真夏のクリスマスツリー

スンカイを出て、クアラセランゴールへ向かう。 ここで夕食に海鮮中華を食べた。 

炒飯と揚げ物数種類。 日曜日の夕方と言うこともあり、客がとても多く混雑していた。 辛くなく、日本人に合うとても良い味付けだった。

 

夕食後のアクティビティは蛍観賞。

日本でも夏に蛍が見られるのは地方だけだが、ここマレーシアでは一年中見られるらしい。

船着き場に行き、船を待っている観光客がいた。 ライフジャケットを着て、待っているとボートが来て、濁った川の上流に上ると2~3ミリの蛍が木に光を放って、群棲していた。

真夏のクリスマスツリーを見るようで、とても奇麗だった。 クアラルンプールのクオリティホテルには午後9時30分に到着した。

 

いざ、マラッカへ

6月20日(月)

午前6時にwake up callが鳴った。

外は曇っている。 午前6時30分には1階のバイキングレストランに入った。

今朝は野菜とフルーツ中心の朝食にした。 旅行中に運動せず、食べてばっかりの毎日なので、少し胃が重たい感じがしたためだ。 バスは午前8時30分にホテルを出て、KLセントラル駅へ向かった。  今日はKLセントラル駅からマラッカへの鉄道の旅である。 

午前9時15分に列車はKLセントラルを出発した。 ガイドの話だと平気で1時間近く遅れるらしい。 こういうところが日本の鉄道事情と違うところであるが、のんびりしている感じである。 このマレー鉄道は1885年に開業し、当時はスズを輸送するために使われていたらしい。 それにしてもこの列車は乗る前から聞いてはいたが、寒すぎるくらい冷房が効いていた。 スイッチがオンとオフしかないそうである。 

約2時間でタンピンという駅に着いた。 運転手のマーさんがバスを先回りさせて、駅の出口に横付けしてくれていた。 ここから1時間かけて、マラッカ市内へ到着した。

ランチはニョニャ料理だった。  ニョニャとは中国人の男性とマレー人の女性の間に生まれたプラナカンの女性の呼び名。  だから、ニョニャ料理とは中華料理とマレー料理のミックス。 味は辛さがなく、中途半端な感じだった。  

昼食後に青雲亭、オランダ広場、スタダイス、セントポール教会跡、サンチャゴ砦跡を観光した。  

1641年当時マラッカを支配していたポルトガルがオランダに敗れ、そのオランダは貿易に関心がなく、その後のイギリスによって貿易が盛んになった。 日本も太平洋戦争の初戦で一時マレー半島を統治していた。 外気は35度。  ジリジリととても暑いが、念願だった世界遺産も観光できた。

市内のお土産物屋に立ち寄り、なまこ石鹸と黒コショウを買った。

マラッカから帰路の途中、フルーツショップに立ち寄り、フルーツを試食した。

南国にしかないジャックフルーツやパイナップル、バナナ、マンゴーを味わった。

さすがに南国で採れたものだけあって、濃厚な味で美味しかった。

中国人の観光客が来ていたが、彼らはドリアンを食べていた。 

普段なら平日の夕方は帰宅ラッシュ道路が混雑するようだが、今日は順調にクアラルンプール市内に入った。 今日のディナーはマレー料理。 「漁無火鍋」という店に入った。  3食続いたナシゴレン(炒飯)には少し抵抗があったが、このパサパサしたご飯も炒飯にすると結構美味いと思うようになった。 はっきり言って、マラッカのニョニャ料理より美味かった。 

 

KLナイトツアー

予定していなかったが、ガイドが提案してくれたKLナイトツアーに参加した。

行先はKLタワー。 エレベーターで一番下の展望台に着き、眼下に広がる夜景を眺めた。 日本の夜景は白い光が多いが、クアラルンプールは黄色い光が多いそうだ。

地上に降りて、光輝くペトロナスツインタワーを頭上に見た。 宝石のように輝いていて奇麗だった。 1名2,500円払ってもツアーに参加してよかった。

 

市内観光、帰国の途へ

6月21日(火)

午前7時30分に起床。  今日の午前中は自由時間。 朝食を食べて、部屋に荷物を置いたまま、ホテルを出てバンダラヤ駅(プトラLRT)に向かう。 

この駅からマスジッドジャメ駅で乗り換え、一つ目のパサールセニ駅で下車。

約5分で関帝廟に到着。 受付のおじさんが人懐っこく近づいてきて「写真を撮ってあげるよ」と言ってくれたので、何枚か撮ってもらった。

その後、ヒンズー教のスリマハマリアマン寺院、セントラルマーケットで娘たちへのお土産を買って、パサールセニ駅からマスジッドジャメ駅に戻り、旧モスクマスジッドジャメを観光。 受付で係りのおばさんに「女性は肌を見せてはいけない」と言われ、妻は全体を黒い服で覆い、ピンク色の布を頭にかぶり、モスクを見て回った。

クオリティホテル近くのSOGOの1Fのフードコート内のパン屋でパンを買い、ホテルの部屋で昼食を取った。 

午後からの市内観光は午後1時30分の集合だったので、805号室から1階のロビーに向かう。 バスの運転手マーさんが出迎えてくれた。 

クアラルンプール郊外のスズのピューターを作っているロイヤルセランゴールという会社を見学。 市内に戻り、王宮(イスタナネガラ)、国家記念碑、国立モスク、ムルデカスクエア(独立広場)、スルタン・アブドゥル・サマドビル(旧連邦事務局)を見て回った。

夕方、チョコレートショップでショッピングをし、KLIA近くで夕食の広東料理を食べた。

夕食後はKLIAへ。 集合の2時間30分前に到着。 空港内のスターバックスで時間をつぶし、現地時間22時50分発のJAL724便でKLIAを後にした。

6日間という短い旅だったが、マレー半島をバスと鉄道で縦断し、ミックスカルチャーを体験でき、とても満足だった。 マレーシアへの6日程度のツアーでは現地通貨への両替は2~3万円程度で十分である。

 

2017年3月 ベトナム 3泊4日の旅

2017年3月5日 私にとっては大学時代からすると4回目の海外旅行である。

前回のマレーシアの旅から5年目である。

京成船橋駅から午前6時6分発の電車で成田空港第一ターミナルに向かい、1時間で到着。

旅行代理店から出発の2時間前の午前8時にはベトナム航空のカウンターで搭乗チェックインの指示があったので、手続きを取り出国手続きを済ませ、出発ロビーで待っていた。   成田を午前10時に飛び立ったベトナム航空VN311便(ボーイング787は南に向け順調に飛行を続けた。 

ハノイノイバイ国際空港には午後1時40分に到着した。

ベトナムは日本より2時間の時差がある。 飛行時間は5時間40分だった。  

入国手続きを済ませ、手荷物をピックアップして出口に向かうと、現地ガイドのホンさんが出迎えてくれた。 ベトナムは15日以内であればビザも、入国カードの提出も必要ない。 手続きがとても楽である。 3月のハノイは寒くなく、暑くなく良い気候だ。 ただ、気持ちよく晴れていないのが残念だった。 空港からバスでハノイ市内に向かった。 バスでホン河を(紅河)を渡った。

このホン河は中国の黄河の支流になるとのことだった。 ハノイベトナム語川の中”という意味だそうだ。 市内に入ると、道路がものすごく渋滞していた。 この日は日曜日の午後というのにこの有様で、特にオートバイの数が半端ではなかった。 その数は700万台に上るらしい。 80%が日本製とのことだった。 

ベトナムではオートバイの免許は18歳から取れるそうだ。 人口構成が日本と違って、きれいなピラミッドになっていて、若者が多いので、これから経済が発展しそうな予感を感じる。 ガイドのホンさんはベトナムでもビールはよく飲まれているとのことで、ハノイビール、サイゴンビール、333ビールとあるようだ。 333ビールがお勧めだと言っていた。  

 

最初のハプニング

1日目の宿泊先のSunny 3 Hotelに午後4時前に到着した。 

チェックインして、カードキーで部屋に入り、荷物を置いて、部屋を出ようとしたら、ドアの鍵がかからない!  従業員を呼んで見てもらったが、直らなかったので、鍵を渡された。 旅にはよくあるハプニングだ。

ホテル到着が遅れたため、日本で用意していた散策プランを諦め、ハノイ大教会に行くことになった。

フロントでタクシー(ハノイタクシー)を呼んでもらった。  ホテルのチェックインの際に挨拶した木下さんが現れた。 我々が「ハノイ大教会に行くんです。」と言うと、「じゃー、一緒に行きましょう」ということになり、3人で行くことになった。 ハノイ大教会前でタクシーを降りると、ハノイ大教会前には観光客でごった返していた。 

ちょうどミサが始まっており、教会の中に入れた。 壮麗な雰囲気を醸し出していた。 

この教会はもともとは1886年に建築されたネオゴシック様式で、1900年初頭に現在の姿に改築された。 130年以上前に建築されたとは歴史を感じる存在感のある建築物である。 

ガイドのホンさんに紹介されたベトナム料理店のPORTE D’ANNAMに行くと、午後6時からなら予約ができると言われ、予約して午後6時に集合することにして、我々は旧市街の街歩きをすることにした。 いろんな店がある。 あてもなく歩いているとホアンキエム湖にたどり着いた。 日曜日なので、たくさんの人がいた。

午後6時前に店の近くに戻ってくると、教会がライトアップされていて、とても奇麗だった。 6時頃に木下さんも戻ってきて一緒に店に入った。 揚げ春巻きや魚のすり身を焼いたもの等、ビールもハノイビール、サイゴンビールを注文した。 癖がなく、食べやすく、おいしかった。  白人も多く、結構観光客の中では有名な店だったのかもしれない。 

食事後、木下さんは旧市街に行きたいというので、我々はタクシーでホテルに帰ることにした。 

流しのタクシーを捕まえようと思い、ホンさんに「安心なのはハノイタクシーです」と言われていたので、ホテル方向に車が流れている道路まで移動して、ハノイタクシーを拾おうと思ったが、暗くてよくわからず適当なタクシーを止め、ホテルの住所を伝えると「OK」というので、「いくら?」と聞くと「メーター」と言うので”メーターのとおりの料金です”という意味だと思い、乗車した。 20分くらいで、ホテルに到着して料金を聞くと、「33万ドン」と言われた。 この高額な金額を聞くと、一瞬引くが1ドンは0.0057円なので、日本円で1,881円だった。 まともな料金なので、ホッとした。 

 

ハノイのトイレ事情

マレーシアもそうだったが、ハノイのホテルのトイレも便器の横にシャワーのようなノズルが付いていた。 日本のウォシュレットのようなトイレはない。 マレーシアでもこのノズルの用途が分からなかったが、要するに手動式ウォシュレットなのだ。 用を足した後に手動でお尻を洗うためのものだ。 マレーシアでは使わなかったが、ハノイでは使ってみた。  日本でお尻を洗う習慣になっているため、洗った後は気持ちよかった。

 

バッチャン村へ出発

翌日3月6日は午前5時30分に起床し、午前6時から11階の食堂でビュッフェスタイルのベトナム料理。 フォーやベトナムコーヒーを味わった。

午前7時20分にホテルをチェックアウトして、バスで焼き物で有名なバッチャン村に向かった。 ガイドのクァンさんが戦争のこと、経済のこと、文化のこと、ベトナムの今昔を話してくれた。

クァンさんがベトナムの経済発展が遅れた理由は戦争が長引いたため(フランス統治時代100年、ベトナム戦争30年、中国との国境紛争5年)で、国内産業も育っていないため、車も、電化製品も外国製、特に日本製が多いと冗談交じりに言っていた。 でも、ベトナム人口ピラミッドで老人が少なく、若者が多いという意味で現在の9,200万人の人口が日本に近づいてくると言っていた。

 

海外でのモバイル事情

成田空港のworld counterでWorld Wingを問い合わせしたが、実際に現地に来てみると、その心配は杞憂だった。 ホテルのロビー、部屋どころかツアーバスの中でもwifiが利用できることが分かった。 ちなみに、宿泊したのはスタンダードクラスのホテルである。  無駄なコストをかけないためにもworld wingは必要ないと思った。

バッチャン村に約1時間30分で到着。

この焼き物は古代王朝時代から作られていたらしく、出土される物もこのバッチャン焼きがほとんどらしい。 娘への記念の土産としてコーヒーカップと鍋敷きを購入した。(1,127,500ドン=51.25ドル=6,652円) 

バッチャン村から3時間30分かけて、ハロン湾に到着した。

 

憧れのハロン湾

曇りでちょっと残念だったが、船乗り場からフェリーに乗り込んだ。 ほどなくランチが出されてきた。 最初はハロン湾で採れたエビの茹でたもの。 調味料が数種類出されたので、剥いたエビに付けて食べた。 野菜スープ、イカの炒め物、カニのコロッケが出された。

水も有料なので、ガイドのホンさんがベトナムで1番人気だと言っていた、飲みたかった333ビールをオーダーした。 食後に船外に出てみるとハロン湾の奇岩が近くに迫っていた。 写真で見るハロン湾の風景に息をのんだ。 やはり実物は圧巻である。

数年前に世界遺産の勉強をしていた頃から行きたかった世界遺産の1つである。

この後上陸し、鍾乳洞を見物した。 見物後に再び乗船し、船乗り場に戻った。 

下船後にバスでホテルに乗ってホテルに向かった。 この日のホテルはBMCタンロンで、広い部屋で快適だったが、やはり窓の作り、浴室等よく見ると一つ一つが日本ならこんな作り方はしないと思う安普請だった。(窓を閉めるとレバーがうまくかからない、カーテンが全部閉まらない、浴室の金具のネジが緩んでいた)  チェックインして、午後6時にフロント前で集合して、ナイトマーケット、夕食に行った。

ナイトマーケットはまがい物か値段がとても安かったが、Tシャツだけを5枚値切って買った。(60万ドン≒3,420円、1枚684円) 夕食は中華のシーフード料理だった。(スープ、エビと野菜の蒸したもの、蒸しカキ、辛くない麻婆豆腐、蒸した魚、炒飯)

 

ハノイへリターン

3月7日は午前6時に起床し、午前6時30分から2階の食堂でフォーやおかず、ベトナムコーヒーを食した。 午前8時25分にロビーで集合して、バスでハノイに向かった。

NHKワールドニュースの天気予報ではハノイは雨とは言っていなかったが、午前から小雨が降ってきた。 途中でトイレ休憩と政府がやっているおみやげ物ショップに寄った。  食べ物はこういう政府が営業しているまともな店で買うのが良いと思った。 品揃えが豊富だった。 ベトナムは世界でもコーヒーの産地として有名になっているので、コーヒーのコーナーに行くとジャコウネコのコーヒーが売っていた。

ジャコウネコのコーヒーと言えば、洋画の最高の人生の見つけ方の中で、大富豪役のジャックニコルソンがデミタスカップで飲んでいたコーヒーが「コピルアク」と言って1杯が5,000円くらいする高級なコーヒーのようだが、ベトナムのジャコウネコのコーヒー(9ドル)はリーズナブルだった。  

約3時間30分かけてハノイに到着し、ランチはオペラハウスの地下のレストランでフレンチを食べた。(野菜サラダ、フランスパン、ローストチキン、デザート、有料コーヒー)   ベトナムは生水が飲めないということもあり、すべて食事の時は水はもちろんすべての飲み物が別料金だった。  

ランチの後に今回の旅行の2つ目の世界遺産であるタンロン遺跡ホーチミン廟、文廟、ハノイ大教会、一柱寺をバスと徒歩で観光した。 

その後旧市街、ホアンキエム湖のほとりを歩き、水上人形劇場を見た。 

 

帰国の途へ

夕食にハノイ名物料理を食べ、ノイバイ空港に向かった。 午後9時30分と早めに到着したため、出発まで3時間あったので、早めにチェックイン、出国手続きを済ませて、出発ロビーで時間を過ごした。 同じ行程だった木下さんと雑談した。 木下さんは日産自動車の技術部門で働いている人だが、ベトナムは初めてだと言っていた。 木下さんのパスポートを見せてもらったが、結構、出張が多く、遠くはジャマイカや中東にも行っていた。 

午後11時50分から搭乗手続きが始まり、搭乗して、午前0時45分にノイバイ国際空港をテイクオフした。

 

成田には午前6時40分に到着した。 冬期の東南アジアから日本への飛行はフォローのジェットストリーム(偏西風)が強く、時速350km以上にもなるとのことだ。

ノイバイの離陸時間を日本時間で計算すると午前2時45分だから、成田には飛行時間4時間で到着したことになる。 往路よりも1時間40分も短かったことになる。

飛行中にモニターを見ていたが、高度12,500mを1200kmで飛行していた。

成田空港で入国手続き、手荷物を受け取り、午前7時45分羽田空港国際ターミナル行きの快速特急に乗り、京成船橋に午前8時32分に着いた。

 

2019年3月 アメリカ東部 5泊6日の旅

2019年3月7日、待ちに待った今日からアメリ東海岸への旅の始まり。

旅はこれが人生5回目。 前回のハノイから2年目である。

そして何と言っても、今から39年前の大学2年生の夏に初めてアメリカ大陸を1周した時に立ち寄ったニューヨークという思い出深い場所である。

24時間前から事前のWEBチェックインができるとのことだったので、自宅で済ませていたため手続きはスムーズだった。 手荷物を預ける時にマイレージの登録依頼をして、出国手続きを済ませ、出発ロビーで搭乗手続きを待っていた。 

今回のツアーに参加しているのは26名とのことである。

また、日本航空の成田⇔ニューヨーク便は1966年11月に就航以来、53年も経つという。

成田から定刻19時30分発のJL004便は50分遅れの20時20分にテイクオフした。

小雨の中のフライトだった。 機体はボーイング777-300ERで3×3×3の横9列はさすがに大きい。 すぐに1回目の機内食(夕食)が出された。 メニューはメインディッシュが牛肉の赤ワイン煮込み ペンネ添え、サイドディッシュがたけのことインゲンの干しエビ香り炒め、ラタトゥイユ、デザートがなめらか杏仁だった。 JALはこれにハーゲンダッツ アイスクリームが付いてくる。 これから約12時間55分の長旅である。 水を切らさないようにドクターから指示を受けているので、出国手続きを終えた後に5本のペットボトルのミネラルウォーターを購入して機内へ持ち込んだ。 映画を見ようと思い捜していると、なんと休日に見ようと思っていた「グリーンブック」があるではないか! さっそく、観賞した。

いつの間にか日付変更線を越えていたようだ。 断続的に睡魔が襲ってくるが、長くは眠れない。 そうこうするうちに2回目の食事が出された。 メニューはトリュフオイル使った汁なしのラーメン、サイドディッシュはきのことレンコンのバルサミコ炒め、デザートがアーモンドゼリー パイン入りだった。 

 

いざ入国審査へ

JFKには所要時間12時間のニューヨーク時間18時30分に到着した。 入国審査を受ける列に並び、係官の前に事前に機内で記入しておいた税申告書とパスポート、ESTAを出すと、「Right side, four fingers. Thumb.  Left side,four fingers.Thumb.」と言われ、指示された順番に指の指紋を取られた。 次に、顔写真を取られた。 税申告書を見て、「What kind?」と聞かれた。 これは機内で添乗員から正直に書いたほうがよいとのアドバイスがあったため、食品を所持しているかという質問項目欄にYesと答えていたことにより、どんな種類のものを持っているのかと聞かれたというわけだった。 「クッキー、キャンディー、ウォーター」と答えると、「OK」と言われ通過した。

それと今回、アメリカ旅行に伴い、ESTAを始めて申請していたが有効期限が約2年あることが分かった。 これならあと2年のうちにアメリカに来たいと思った。 

手荷物を受け取り、到着ロビーに行くと同行の人たちはまだ誰も来ていなかった。

「あれ、どこに行ったのかな?」と思っていると現地ガイドの貴子さんが「まだ、みんな通過していませんよ。」と言ったので、近くの椅子があるところで休憩していると、次々と手続きを済ませてやってきた。 

 

ホテルへ

JFKからバスで1日目の宿に向かった。 道路は帰宅時なのか車で込んでいた。

ホテルは隣のニュージャージー州にあるマリオット ニューアーク リバティ インターナショナル エアポートである。 日本出発前にニューヨークの気温を見ていて、なんとなく日本よりも寒いとわかっていたが、3月なのにまだ、ロードサイドにはところどころに雪が残っていて、やはり寒かった。 JFKのあるブルックリンからブルックリン橋を渡って、マンハッタンを経由するのかなと思っていたが、地下のトンネルを通って、マンハッタン島に入った。 夜の闇の中にエンパイアステートビルワンワールドトレードセンターがくっきりと浮かび上がって、美しかった。 この景色を見ると、やはりニューヨークに来たという気分になる。 ハドソン川も地下トンネルを通って、ニュージャージー州に入り、ホテルへ到着。

チェックインして、部屋に入った時には午後10時近くになっていた。

 

3月8日

午前6時にモーニングコールが鳴った。 午前6時30分に朝食を取りに、1Fのレストランへ。 ブッフェスタイルだったが、残念なことに生野菜が無かった。 午前8時にバスでホテルを出発した。 今日はワシントンDCに向かう日である。  バスは宿泊先のニュージャージー州からデラウエア州のサービスエリアで休憩して、メリーランド州を経由してインターステイトハイウエイ95号線を南に進んだ。 

ワシントンDCには4時間30分後の12時30分に到着した。 そのまま、この日のランチ会場のイタリアンレストランへ。

レストランに到着し、バスを下りると小雨が降っていた。 それにしてもニューヨークに着いてから天気は曇りがちである。 レストランではサラダ、パスタ、グリルチキン、スイーツというメニューだったが、パスタが出されるまでに時間がかかり、コーヒーが飲めなかった。 食事が終わり、店の外で現地ガイドの女性が待っていてくれた。 ガイドと一緒にワシントンDCの中心部へ向かった。 小雨の中をホワイトハウス、国会議事堂、ジェファーソン記念堂、ナショナルギャラリーと回った。 この現地ガイドの女性は話しぶりがパワフルだった。 ガイドによれば、ワシントンDCは特別行政区であり、高い建物が建設できないところがニューヨークと対照的だと言っていた。 また、「3月は観光客が少なく、オフシーズンなので、スムーズに観光できますよ。 あと、1ケ月もすると、ポトマック川に桜が咲き始め、観光客がどっと押し寄せてきます。 私が一番好きなのは秋のワシントンDCです。 紅葉がきれいですよ」と言っていた。 

最後にスミソニアン航空宇宙博物館を見て回った。 ここは宇宙航空の歴史が見られるところで、ライト兄弟が空を飛んだ飛行機の実物やリンドバーグが初めて大西洋横断した飛行機、月面に初めて着陸したイーグル号の実物が展示されていて、見飽きなかった。 ガイドの話ではこのワシントンDCの周辺には78の美術館や博物館があり、すべて無料なので、何日いても見飽きないとのことだった。

ガイドと別れ、夕食会場で中華料理を食べ、土産のガムを買って、20km先のホテル(ウェスティン タイソンズ コーナー)に着いたのが、午後8時頃だった。 

 

3月9日

この日は5時45分にモーニングコールが鳴った。

6時30分から朝食を取って、8時前にホテルを出発した。 途中、ボルチモアのサービスセンターで休憩を取って、ペンシルベニア州フィラデルフィアに午前11時過ぎに到着。

最初の観光地のフィラデルフィア美術館に着いた。 この日も現地ガイド志保さんによる美術館の絵画の案内があった。 「昨日のガイドといい、今日のガイドといい、日本人なのに現地に住んでガイドの仕事をしているのはすごいですね!」と添乗員の柴田さんに話しかけると、「これがまた女性が多いんですよね! 男性はあまりいません。」と言っていた。

男性より女性の方が行動力があるということか。 

このフィラデルフィア美術館はあの映画「ロッキー」でシルベスタ スタローンが階段を駆け上がったことで有名になり、駆け上がって、両手を上げたところに足跡が残っていて、現地では”ロッキー・ステップ”と呼んでいるそうだ。 

ここから市内の中心部に移動した。

市内に入ると、約30年かけて建造された石造りの市庁舎を見ながら、独立記念館(世界遺産)や自由の鐘を見学し、ちょうど午後1時に独立記念館の前に来たので、ガイドが「PM1時の鐘を聞いて行きましょう。」と言ったので、鐘の音を聞いた。

近くにあるランチ会場まで徒歩で移動した。 今日のランチは1774年に開店し、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンや第三代大統領トマス・ジェファーソンも訪れ、食事をしたという「City Tavern」というアーリーアメリカンの古く、伝統的なレストランだった。ここでチキンポットパイとアップルサイダーをいただいた。 店の従業員のアーリーアメリカンな服装も印象的だった。 フィラデルフィアを後にしてニューヨークに向けて、インターステイト・ハイウェイ95号線を北上した。 午後4時頃にマリオットホテル ダウンタウンについて、徒歩でグラウンドゼロに向かった。 あの9.11の時の映像は丸の内支店時代にTV等で見てとても衝撃的だったが、こうして現地で眼下のくぼ地を見ると、本当にツインタワーがなくなったということを改めて感じさせられた。 さらに、マンハッタンの最南端のバッテリーパークまでバスで移動し、小さかったがリバティ島の”自由の女神”(世界遺産)を見学した。

バスで夕食会場のレストランまで行き、トライベッカ地区にあるホールフーズ(アマゾンが買収したスーパー)というスーパーでお土産を買った。 レストランに戻り、食事をした。 この日の夕食はサーモンの焼いたもの、スイーツのケーキが出たが、さすがに満腹で食べられなかった。 

ガイドから「ニューヨークではサマータイムが始まり、1時間早くなるので、翌日から時計を1時間早く、修正してください」とのアナウンスがあった。

この春にサマータイムに切り替わる時期、秋のサマータイムからもとに戻る時期に交通事故が多いらしい。 

 

3月10日

今日は6時30分にモーニングコール。 午前7時に朝食を取りに1Fのレストランへ。

この日のメニューはスクランブルエッグ、パン、フレンチフライのセットメニューだった。

午前8時30分にホテルを出発。 この日はニューヨーク市内観光だったが、朝からあいにくの雨。 バスでタイムズスクエア近くまで行き、下車して雨の中を散策した。 

近くに、ハーシーズのチョコレート店やユニークなデザインのM&Mのショップがあった。

午前10時からメトロポリタン美術館を現地ガイドがハイライトツアーで案内してくれ、いろんな有名な画家の絵画を鑑賞した。 12時に今日のランチ会場のウノ.シカゴ.グリルという店でピザを食べたが、厚いピザで量が多くて、半分しか食べられなかった。

その後、ニューヨーク近代美術館(MoMa)の絵を見て回った。 ここの絵は前衛的過ぎて、よくわからなかった。 MoMaの後は夕食会場にバスで移動し場所の確認をしてから、当初のスケジュールには予定になかった3時間の自由行動が待っていた。

雨で特に予定もなかったので、添乗員とセントパトリック教会に行った。 全米最大の教会とのことだった。 教会や寺院というのはとても荘厳な気持ちになれる。 ロックフェラーセンターの敷地内にスケートリンクが作られており、人々がスケートを楽しんでいた。 

この頃になると、雨はやんでいたが、寒さが一段と増した感じだった。 

日本でアウトドアメーカーのコートを買ってきて、正解だった。 ブロードウェイと48丁目の交差点近くに戻り、ハーシーズでお土産のチョコを、M&MでTシャツを買った。

タイムズスクエアで再度記念撮影。 夕食会場のハーレイズサルーンというレストランに戻り、ステーキサラダを食べたが、これもボリュームがありすぎて、完食できなかった。

食事のあと、徒歩でブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」の劇場へ。

19時30分から始まったが、疲れで最初は眠っていたが、途中から見ると俳優たちのピッタリと息の合った演技や迫力のある歌声に魅せられてしまった。

午後10時に終了し、バスでホテルへ。 ホテル到着後入浴して、ベッドに入ったのが深夜0時を回っていた。

 

3月11日

午前5時45分にモーニングコールが鳴った。 今日は帰国のための移動日である。

午前6時30分に朝食に行くために部屋を出るときに、キャリーを部屋の前に出した。

今日の朝食もセットメニューで、パンケーキ4枚。 3枚しか食べられなかった。 

午前8時にホテルを出発して、JFKへ向かった。 

午前9時30分に到着し、早速、JALカウンターで搭乗手続き、その後出国審査。

チェックが厳しく、靴まで検査を受けた。 添乗員の(S氏)に音声ガイドを返却し、免税店で買い物をし、搭乗口2番へ行った。 約1時間30分ほどして、午前11時35分から搭乗手続きが始まった。

ニューヨーク時間3月11日の午後12時25分(日本時間3月12日の午前1時25分)に

JL003便ボーイング777JFKをテイクオフした。

今日は昨日とは打って変わり、快晴で絶好のフライト日和である。 機体はアルティトュード(高度)9,800mを順調に飛行している。 

下世話な話であるが、出発日の3月7日から3月8日にかけて排便がなく、3月9日の午前中、ボルチモアのハイウェイのサービスエリアで少し出て、ニューヨークに帰り着いて、マリオット ダウンタウンの部屋で就寝前に大量に出た。 3月10日も入浴前に出て、最後は快調だった。  帰りのJL003便の中でもその勢いは止まらず、ベーリング海峡と千島列島上空で2度も爆弾を落とした。 これは「はやく北方領土を返せ」という意味を込めた照明弾である。 

アメリカは先進国でしかも4つ星ホテルだったが、ウォシュレットが付いていないのは、ベトナムやマレーシアと変わらない。 その国の文化なのか、はたまた、日本のトイレメーカーの営業努力が足りないのかはわからないが、常日頃ウォシュレットを使い慣れている日本人にとってはいささか不快である。  ぜひ、広めてほしいものである。 

そこでそんな不快な状況を改善すべく、今回の旅で気づいたことが1つある。 それは、局部を奇麗にする方法である。  試しにやってみて、局部周りが快感であった。

それはトイレットペーパーを多めに手に取り、畳んだ先端に水を少し含ませ、それで一気に局部を拭き取るのである。 これからウォシュレットのない国に赴くときもこれで解決ができる。 

JL003便も時速200kmの向かい風の中を、成田まで残り230kmのところを飛行している。 

成田には日本時間3月12日午後2時50分(ニューヨーク時間3月12日午前1時50分)に到着した。 所要時間は13間30分だった。  日本はニューヨークより13時間早い。

 

【国内】

2020年1月 沖縄3泊4日の旅

2020年1月13日

午前11時41分発の電車で羽田空港に向かう。 空港には午後1時頃到着し、出発まで

2時間50分程あった。 昼食にそばを食べ早めに搭乗手続きを済ませて、14番ゲートで搭乗を待っていた。 10分程のディレイで、JAL919便はD滑走路をテイクオフした。 

今回の機種はBoeing 777-300。 500人乗りで大きい。 この機種には国際線仕様があり、実は2019年3月にアメリ東海岸を旅した際には、Boeing 777-300ERだった。

国際線の機種はファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミーといった数種類のシートがあるため、座席が244席しか確保できないということなのだろう。

777-300は順調な飛行を続けていた。 水平飛行に入ると、キャプテンから「今、時速300kmのジェット気流が飛行機の前方から吹いています。 冬のジェット気流はとても強いため、飛行に時間がかかる。」というようなことを言っていた。

919便は午後6時過ぎに那覇空港に到着した。 飛行機を降りると、羽田とは違う生ぬるいような空気感に包まれた。

手荷物を取って、指示通りに、到着出口Bを出て横断歩道を渡り、右に曲がるとレンタカーの係員が待機していた。 名前を告げて送迎用のバスで、ABCレンタカー空港営業所に到着した。 説明を受け、レンタカー(日産ノート)を受け取り、ナビで目的地のホテルロイヤルオリオンをセットして、いざ出発。 20分ほどでホテル到着。

 

また、ラッキーな日

ホテルのロビーでチェックインをしていると、ホテルの担当者から「今晩3連泊で承っていますが、ホテル側の都合で最後の夜の1月15日だけは隣のダイワネットホテルにしていただけたら、ありがたいのですが・・・」と言われた。 「部屋が狭くなるとかの不利な条件でなければ構いません」と返答すると、「それではそのようにさせていただきます。 お礼に駐車料金2,000円の無料と今晩のホテル内のレストランでの夕食を無料にさせていただきます」と言われた。 夕食を洋食にしたら大きなステーキがメインディッシュで付いていたので、1名3,500円として、食事代7,000円+駐車代金2,000円=9,000円はお得だったと思う。 これで、羽田空港のランチ代1,650円とレンタカー会社に支払った保険料6,600円が無料になった。(ラッキー)

 

1月14日

午前6時30分起床、午前7時30分頃に地下の朝食会場に朝食を食べに下りて行った。

広い会場で、他の宿泊客がすでに朝食を取っていた。 朝食ブッフェだったが、メニューの多さに驚いた。 さっそく、生野菜やジュース、おかず等をチョイスし、席で食べた。

 

車のエンジンがかからない!

食事が終わり、一旦、部屋に戻って出発の準備を整え、地下2階に止めている日産ノートに乗り込み、出発しようとエンジンをかけたが、エンジンがかからない。 一瞬、故障かとも思ったが、いやいや、まだ、動かしていないのにそんなことはないはずと思っていると、近くでエンジン音が聞こえる今にも、出発しそうな旅行者っぽい中高年のカップルを発見。

走り寄って、「あのー、同じ日産ノートがエンジンがかからないんです。 ちょっと、見ていただくことはできますか?」と尋ねると、車まで来てもらい、「ブレーキを踏んだ状態で、スタートボタンを押すんですよ」と言われるままに、やったらエンジンが始動。

まったく、自分の車の古さと新しい車の技術に驚くばかりであった。

車トラブル(?)で、午前9時30分過ぎの出発となった。

この日は県南部を回ってみようと考えていたし、車に慣れるということもあって、短い距離のコース設定だった。 国道331号線を下っていると、「瀬長島」という看板が目に留まり、行ってみることにした。

東シナ海や飛行機が発着する那覇空港を眼下に眺められる展望台があり、とても景色の良い場所だった。  海の色もマリンブルーで奇麗だった。 

さらに、331号線を南下して、琉球ガラス村に到着、ブルーやオレンジといった鮮やかな色遣いのガラス工芸が特徴的だった。

次に、ひめゆりの塔ひめゆり平和祈念資料館、平和祈念公園を訪れた。 

太平洋戦争末期の惨状が鮮明に記録として残っており、戦争の酷さを見ると、今後の平和を願うばかりだった。

午後2時前に、遅い昼食を食べようと「茶処 真壁ちなー」というガイドブックに載っているお店を探した。 結構、道路から入り込んだ店だった。ここで沖縄そばと氷ぜんざいを食べた。 なんとも懐かしい味のそばと小豆本来の甘さのぜんざい。 美味しかった。 明治時代に建てられた民家を改装して店を開いているようで、ホッとする雰囲気を醸し出している所だったが、よくよく見ると弾丸の痕が柱に残っていて、おそらく太平洋戦争当時のものだろうと思った。 また、家も有形文化財として登録されていた。

最後に「斎場御嶽」(せーふぁうたき)という世界遺産の場所に行った。

ここは古代琉球人が神の宿る神聖な場所として崇めたところで、山の中に自然の岩で作られた三角形の奇妙な空間があった。  その後、東側を回って、ホテルに帰った。

夕食はホテル近くの「ちぬまん」という沖縄料理の店でゴーヤーチャンプルー海ぶどうジーマーミー豆腐、紅芋コロッケなどを食べた。

 

1月15日

この日も午前6時に起床して、午前7時過ぎには朝食会場に向かった。

この日は日産ノートにも慣れたので、高速道路を利用して、中部西海岸を巡ることにした。 西原JCTから高速に乗り、屋嘉ICで降りて、最初の訪問地「万座毛」に到着した。 天気は良かったが少し風があり、肌寒かった。 ここには中国からの観光客が多く来ていた。

次に「おんなの駅なかゆくい市場」に立ち寄り、「残波岬公園」に着いた。 とても広い所に白い灯台が印象的だった。  さらに、世界遺産の「座喜味城跡」を訪れた。

ここは15世紀頃に武将護佐丸により築城されたもので、高く積み上げられた城壁が特徴的だった。  この「座喜味城跡」ではとても暑かった。

昼食を取ろうと、美浜アメリカンビレッジまで行き、A&Wカーニバルパークというハンバーガーショップハンバーガーを食べた。

この日の最後に、首里城まで足を延ばした。 火災で焼けた建物が痛々しかったが、奥まで見学できた。 

 

1月16日

ダイワネットホテルでの朝食を済ませ、レンタカー会社への車の返却が出発の2時間前までにとのことだったので、午前9時にチェックアウトして、車にレンタカー会社の電話番号を入力して出発した。 途中でガソリンを満タンにして、車を返却した。

送迎用のバスで那覇空港に到着し、午前11時に早めに搭乗手続きを済ませて、25番ゲートで待機し、午後12時50分にJAL906便は那覇を飛び立った。 

帰りの便の座席付近は結構席が空いていたので中央の列に移動し、広くスペースを取って座った。

1月の沖縄は最高気温も20度以上と温暖にもかかわらず、どこも観光客が少ないため、

観光地も回りやすかった。

サングラス、帽子(つばの広いもの)が必携。

沖縄の他の観光地や世界遺産をまた1月に訪問して、見て回りたいと思った。

 

2022年7月 沖縄2泊3日の旅(海炎祭鑑賞)

2022年7月3日(日)

午前5時20分に自宅を出発し、午前5時55分発の羽田空港行きの京急リムジンバスに乗った。 2回目の沖縄だが、19年目になる海炎祭を観賞するためのツアーに参加した。

羽田空港第一ターミナルに午前6時46分に到着。

そのまま、JTB指定のJALカウンター2番で受付して、手荷物検査を済ませ、8番搭乗口付近のカード会社ラウンジでコーヒータイム。 今回は何といっても楽しみなのが、JALの機種がエアバスA350-900であることだ。 今までいろんな機種に搭乗した。

JAL機では2011年に行ったマレーシアはB767-300ER、2019年に行ったアメリ東海岸B777-300ER、2020年に行った沖縄はB777-200ER、そして帰省で利用するのはB737-800、たまにブラジルエンブラエル社のE190、JAL機ではないが、2017年に行ったベトナムハノイベトナム航空のB787

JAL907便は午前8時55分に羽田空港をテイクオフした。

今回は数日前に発生した台風4号と鉢合わせをする形で沖縄に向かった。

ところどころ機体は揺れたが、機体の大きいエアバスは安定していた。 シートが非常口席だったのが玉にきずだった。 でもそのおかげでキャビンアテンダントと向かい合って座れたので、機器の操作を教えてもらった。 那覇空港には定刻の午前11時40分に到着した。 回転台でキャリーを受け取り、バスで瀬長島のウミカジテラスに行って、ランチタイムだった。 カプリシャス食堂で「テビチー」という豚足入りの沖縄そばを食べた。 スープは魚介で取ったあっさり味だった。

その後、バスで黒糖工場を見学。 この間、断続的に雨が降っていた。 浦添市にあるパルコシティに行き、早めの夕食を済ませ、夕方、沖縄海炎祭の会場に着いたが、またもやどしゃ降りの雨。 持ってきたカッパを着て、いざ会場へ。 午後8時過ぎから花火ショーが始まった。 1万発の花火は圧巻だった。 午後9時過ぎに会場を出て、ホテル(リザンシーパーク谷茶ベイ)に着いたのは午後11時が回っていた。 入浴後、オリオンビールで疲れを癒した。 癖のないビールで二人でロング缶を2本開けた。

 

7月4日(月)   

午前6時起床。 午前7時に1階の朝食会場へ。 和食のブッフェを腹いっぱい食べた。

午前9時にホテルを出発して、名護市にある沖縄フルーツランドに行った。 もともとフルーツが食べ放題とのことだったが、コロナの影響で中止になっているのが残念だった。 その後、ちゅら海水族館に行き大きなジンベイザメを見た。 

 

けが人発生!

古宇利大橋を渡って、古宇部島に行った。 ここで、ツアー客の一人(あとで若い女性だと分かった)が転んで大けがをして、救急車で運ばれるという騒ぎが起こり、1時間近くバスの中で待たされた。 その後、座喜味城跡に行った。 

ここは2020年1月に初めてレンタカーで訪れ、城跡の頂上に上っていたので、今回は資料館を見て回った。 資料によると座喜味城は、1420年前後に護佐丸によって築かれた。 1400年頃といえば、日本は室町時代である。 ヨーロッパはポルトガル、スペインによる大航海時代が始まった頃である。 

 

えっ、部屋に入れない!

この後に、宿泊先のホテル(ダブルツリーbyヒルトン)に向かった。 ホテルに着くと、添乗員から「まだ、部屋の準備ができていないようです。」との連絡。 フロントで「何が起こっているんですか?」と聞くと、「ツアーのお客様が急に増えて、対応できていない状況です」との弁。 おいおい、そもそも旅行代理店から何人のお客が宿泊するのか把握できているはずでしょ! それに合わせて、ホテル側の人員を増やすなどしていれば良かったのではないかと思った。 結局、1時間近く待たされて、部屋に入れた。 部屋に荷物を置いて、メインプレイスというショッピングモールまでタクシーで行き、夕食を食べた。(ネギトロ御前)  モール内のスーパーサンエーでアルコールやおみやげを買って、タクシーで戻った。

 

7月5日(火)

午前6時30分にアラームが鳴った。 午前6時50分に4階の朝食会場に行くと、長蛇の列。 約50~60人は並んでいた。 4つ目のハプニングだった。(ちゅら海水族館で老人がバスに30分遅れた/古宇利島で若い女性が手を骨折/ヒルトンで部屋に入れず待たされた/朝食会場が混雑して待たされた) 少なくとも、ホテルでの出来事はホテルが外資系だということも影響しているかもしれないが、コロナにより一時的なレイオフ(人員削減)で、経済回復期の旅行需要に耐えられない状況ということか。 そうだとすれば、いかに未曽有のコロナの影響ということ。 午前8時までに朝食を済ませ、部屋に戻りJTBのアンケートを記入し、キャリーの荷物を整理して、4階のフロントでチェックアウトして、予約していたタクシーに乗り込んだ。 10分ほどでゆいレール安里駅に到着。  午前9時11分の各駅停車で那覇空港に向かった。 午前9時20分に空港に着いて、そのままJTB指定のJALカウンターに行くと、アンケートと引き換えに搭乗券を渡された。 荷物を預けて時間があったので、1階のラウンジ華に入り、時間をつぶした。

このラウンジは空港の大きさにしては手狭なラウンジだった。 出発1時間前の11時10分に検査場を通過して、12時10分発のJAL906便(エアバスA350-900)で沖縄を後にした。

 

2023年6月 北海道東部3泊4日の旅

 

2023年6月13日(火)

今日から北海道の旅の始まり。午前6時25分発の羽田空港行きの高速リムジンバスに乗った。運賃は片道1,150円。最近は帰省する際も電車ではなく、乗り換えがないこのリムジンバスを利用している。午前7時40分に羽田空港第一ターミナルに到着。今回の航空会社はスカイマーク。出発まで時間があったのでビル内を散策し、北ウイングのスカイマークのカウンターで搭乗手続き、キャリーを預けて、手荷物検査場を通った。16番ゲート付近のパワーラウンジノースに入り、ティータイム。午前9時40分頃にラウンジを出て、19番ゲートに向かった。午前11発のスカイマーク711便で羽田空港を後にした。新千歳空港には12時35分に到着。空港を出て左手に進み、一番奥の乗降所で待っているとレンタカー会社の無料シャトルバスが来て、レンタカー会社まで連れて行ってくれた。レンタカー会社(トラベルレンタカー)で手続き(免責保険料4日分の4,400円支払い)を済ませて、レンタカー(トヨタルーミー1000cc)を借りて旅の前の腹ごなしをしようと思い、とんすけ(豚丼)に行った。甘辛いタレが絡まった豚肉が美味しかったが、豚丼の店なのに店員の女性のTシャツにBEEF(牛)と文字がプリントされていたのがなぜか面白かった。ランチが終わると、車のカーナビに一日目の宿泊先のホテル大平原をセットして出発。千歳東ICから道東自動車道に乗った。道東自動車道はほとんどが片側1車線だった。山間部を通るので3000から4000mくらいの長いトンネルが多く、所々雨が降っていた。音更帯広ICで降りて、一般道路をひたすら走り、午後5時前にホテルに到着した。 チェックインして部屋に入り温泉で一汗流して、食前酒のサッポロクラシックの350mlを飲み干し、午後7時に夕食会場に行った。夕食はバイキングだった。売店サッポロクラシック500mlを1本とつまみを買い、部屋に戻り酒盛りをした。

 

2023年6月14日(水)

午前7時に朝食バイキングを食べ、午前8時30分過ぎにホテルを出発し、釧路市湿原展望台へ向かった。池田ICから道東自動車道に乗り、釧路ICで降りて一般道路を進んだ。まっすぐで長い道路、広い田園。北海道ならではの風景だった。途中でタンチョウヅルを見かけた。 午前10時頃に釧路市湿原展望台に到着した。展望台の中にある資料館を見学し、屋上からの雄大な景色を楽しんだ。

ここから1時間ほどかけて摩周湖に到着した。 この日は霧が出ていて、まさに霧の摩周湖だったが、時間とともに霧が晴れてきた。摩周湖の中に小さな島(カムイシュ島)があった。外国人観光客(韓国人)も来ていた。 摩周湖を出て、屈斜路湖に向かう途中に弟子屈ラーメン店で味噌ラーメンを食べた。 そこから20数分で屈斜路湖の南側の和琴半島の駐車場に到着した。 湖畔にはキャンプ場や露天風呂があった。 ホテルに向けて車を走らせていると突然野生の鹿が道路に現れた。約1時間かけてこの日の宿泊先のホテル御前水に到着した。

ホテルの眼下に阿寒湖が広がっていた。

 

2023年6月15日(木)

朝食バイキングを食べ、チェックイン後に阿寒湖の湖畔を散策した。ホテル御前水からオンネトーを観光し、国道241号線、国道273号線を使い1時間40分で旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群に到着した。観光客が何組か来ていた。このアーチ橋梁群は国道273号線とは糠平湖を挟んだ東側にあった。ガイドブックではこの橋梁の近くまで行けるイメージだったが、遠くに小さく見えた。

ここから国道273号線をさらに北へ進み、上川町、富良野市を経由して約2時間30分かけて白金青い池に到着した。人気の観光地のようで駐車場にはたくさんの観光バス、乗用車が止まっていた。池の中の枯れた白い立木と池の青さのコントラストが幻想的だった。 この日の宿泊先の白金観光ホテルに到着した。

 

2023年6月16日(金)

この日は旅の最終日。

ホテルの朝食を食べて、この日は美瑛、富良野を回る予定で、ホテルを午前8時30分に出発。

美瑛の観光地を回る前に、ガソリンを給油した。

約30分でセブンスターの木に到着。その後ケンとメリーの木→マイルドセブンの丘→四季彩の丘→ファーム富田と回った。ファーム富田でランチにポテトカレーを食べた。ここから国道を経由して占冠ICから道東自動車道に乗り千歳東ICで降りて、午後3時過ぎにトラベルレンタカー新千歳営業所に到着した。無料シャトルバスで新千歳空港に行き、すぐにチェックインし、荷物を預けて、3階のレストラン街で夕食にジンギスカンを食べた。その後出発まで時間があったので同じ3階のスーパーラウンジでお茶を飲んで、時間を過ごした。午後9時発のスカイマーク730便で新千歳を後にした。羽田空港には午後10時25分に到着。羽田空港第一ターミナル23時15分発船橋行きの京急リムジンバスに乗り込んだ。船橋には0時10分に到着し、0時33分発のアーバンパークラインに乗り、帰宅したのは0時40分だった。

 

2023年12月 台湾2泊3日の旅

 

2023年12月4日(月)